久々にCLANNAD
久々にCLANNADやったけどさぁ…やっぱ汐(主人公の娘)は死ぬべきじゃないだろ。まぁ自分の勝手な考えだと思うけどさ…。
やっぱりイタいんだよ、自分的に。ノンフィクションではなくフィクションだろ、ゲームって基本的に。
それに汐が死ぬ意味って何も無いじゃん。幻想世界にしかつながってないし。
幻想世界がCLANNADのメインだったら話はわかるけどさ、そうじゃないでしょ。
幻想世界は「ゲーム」という観点から見ても、「シナリオ」という観点から見ても「補助的なもの」でしかないんだからさ。
渚(汐の母&主人公の妻)が産褥死する、というのはまだ許せる。
それだけの「シナリオ上の意味」があるから。
「自らの命を賭して(として)まで」というのは、確かに人生で一つや二つはあるのだから。
出世で言えばバクチの一つを打たないと平取以上になれないとか、結婚相手に選ぶ時に実際に「こいつでいいのか」、とかあるわけだからさ。
(ちなみに自分は結婚と恋愛は分けて考えている。結婚相手は「人生のパートナー」であって「恋愛のパートナー」とは限らないから。…だから非モテ系なのかもしれないけどさ(ToT)これに同調する女性ってかなり希少なのよ_| ̄|○)
汐がらみで書くとさ、
汐と主人公が旅行に出かけた時に、汐が死んだ母親(渚)の事を聞くシーンあるじゃない。
「ママのこと、おしえて」って。
効くよね、このセリフ。
主人公が中途半端に放擲してるからこそ、冗談抜きで響くのよ。
しかも、ここで音楽を止める、なんて演出してたりするから、効果抜群。
全て放擲してたら逆ギレっていう最低最悪の手法が取れるけどさ、
妙な立ち位置(全てを捨てきれず、代替するものがない状態)だと…なんて言ったらいいのかな…嫌が応にも過去と向き合ってしまうトリガーになってさ、今まで溜め込んだ「モノ」がまとめて吹き出てしまいかねない。
人はそれを「後悔」って言ってさ、本当に「嫌な事」は思い出したくないのよ。概ね―――死別にせよ生別にせよ―――人との別れがそうさせるんだけどさ。
「何故」「あの時」「ああしなかったのか」という後悔から、その事に目を背けたくなる。
それを思い出させるのが、あの汐のセリフなのよね。
…まぁ愛情を求める子供心からあのセリフが生まれるんだけど(というより子供で無い限りそんなセリフは出てこない)、当事者にしてみれば、歯を食いしばってでもその事を思い出さないように思考してしまう。
物語展開上に存在する「渚の死(産褥死)」と「汐の誕生」という事実。
主人公には「汐の存在(誕生)」が「渚の死」にダイレクトに結びついている。正確には「汐の存在」がトリガーになって「渚の死」を(苦い事実として)思い起こさせる。
正直なところ、本当につらいよね。女性はともかく、男性の視点から見たら「愛する人」>「愛した人が産んだ子」というウェイトの違いは厳然としてあるんだから。
事実、体を張って産むのは女性であって、男性から見たら(こういう書き方は問題があるかもしれないけれども)産まれ落ちる子は「実際に産む女性」を介してのみでしか「自分の子供」と認識しない。否、出来ない。
女性は懐妊して10ヶ月ほどその苦労を「お腹の中の子供と共有」するけど、男性はその苦労を(肉体的に)共有できない。その現実はやっぱり大きいものがあるから(だからこそ「母親は強い」という一般認識につながるけれども)。
そういう現実の差もあって(物語なので厳密に「現実」では無いけれども)、主人公から見たら汐の存在は、その背後に在る「渚の死」という事実を思い起こさせる。
渚を失った哀しみは確かに大きいけど、その哀しみの大きさから主人公は「何故、渚は命を賭してまで汐を産んだのか」という意義を忘れてしまっているんだよね。
そして、その意義を思い出すのが、あの旅のシーンなんだろうね。
(父親の在り方(の一つ)を識る【トリガー:祖母との会話】
≒汐を娘として認識する【トリガー:汐が無くしたおもちゃ→主人公の胸で泣く汐】
≒汐を渚の死の代替にする【トリガー:母親(渚)の事を話す主人公】
そういった意味では、あの旅のシーンは非常に濃縮されたシーンだよね。早苗(義理の母親)が仕向けた旅行だけどね。
文学(物語)を吸収しているゲームならでは、と言えるかもしれない。小説でも可能と言えば可能なんだろうけど。
ただ…さ、一つ言わせて貰っていいかな、<KEY様
早苗という固有名詞はリアル母親と同じ名前なんですが、これは何かの罠ですか?
CLANNADで引っかかるのが、(先ほどの旅のシーンに絡む事だけど)やっぱり主人公の父親だね。
汐と共に生きるのを決意した主人公がさ、親父さんと和解(?)するシーンで、
「もう…おれはやり終えたのだろうか…」
というセリフがあるんだけど、そのセリフは、親父さんが主人公を育てる決意をしたその瞬間に「戻った」という事でしかないんだよね。
分かりやすく書けば、経過をすっ飛ばして結果に至っちゃった、という具合。
ぶっちゃけて書くと、それはあり得ないんだよね。
人生って、足跡が積み重なったもの(ここでは主人公と親父さんが歩んだ軌跡)だから、経過をすっ飛ばしちゃったらクソの意味も為さない。
親から子へと伝わる「何か」。果たして、岡崎父子にはそれが何かあっただろうか。
厳密に言えば、それはある。
「子供を育てる」という「事象」が厳然として存在している。
確かに、それは重要事ではある。
子孫を残す、という生物学上の本能と定義すれば、それは正しい。
だが、一点だけ欠けてるところがある。
CLANNADの最大の欠点は、岡崎直幸―岡崎朋也の親子ライン、ではなく岡崎朋也―岡崎汐の親子ラインの同軸上にある「母無し子」から来る「父親」という存在意義(レゾン=テードル)…って書くと大仰な印象になっちゃうけど、「母無し子」を補う「別の何か」が非常に薄い。
最終的には「親は無くとも子は育つ」という点に帰結してしまうのが、やっぱり致命的。
その代替として古河秋生・早苗ペアがいるけど、渚・汐というフィルターがかかってしまう以上、本質的なものにはなりきれない。
自分がCLANNADを含めたKEY作品が嫌いなのは、そういった父性愛をあまりにも軽視しすぎてるのが大きい。
まぁヲタを相手にした商売だと、そういう父性愛―――子供にとって現実という社会を代替する「厳しい」存在―――よりも、包み込まれる愛情といった母性愛が受ける、というのは事実ではあるよね。
一応、Airが家庭用コンシューマ機で発売されたけど、結局ヲタ世界の中での評価に留まってしまったのは、多分その点もあるんじゃないかな。
キツい書き方をすれば「ヌルい」からね。KEY作品の世界って。
…それを演出でカバーしてる、というのが自分の評価なんだけどさ。
サッカーが分かる人にしか通じない話だけどさ、中田英寿選手がいるじゃない。
中田選手は、突き詰めて言うと能力的にはさほどじゃないのよ。自分が見る分には。
ただ、(数年前は)フィジカルな強さが非常に優れてた、というのがある。「短所を補って余りある長所」と書けば分かりやすいかな?
それに近いんだよね。
ある要素はそれほど優れてるわけじゃないけど、別の要素でそれをカバーできてる。
それがKEY作品だと思ってる。
演出が、登場人物・物語展開を最大限に活かしている、というのが、ね。
あと適当に。
あ、そうそう。
CLANNAD最大のガンと言われる幻想世界ですが(っつかオレだけ言ってる?)、アレ全部読みました。
…いや、ゲーム中だとすげぇタレるから途中から忌避しちゃったんですわ( ̄∀ ̄A``
草野球編である「汚名万来」という言葉。
…ワザとだろーな…この言葉…。
AfterStoryで酒を呑むシーンがあるけどさ、ちゃんと漢字は「飲む」じゃなくて「呑む」と表記しているのは自分的に好き。
誰がシナリオライターか知らないけどさ、「アンタ、漢と書いて男と呼んでやるよ」と一人ごちたりさ。
で、渚がファミリーレストランでバイトする、というシーンになって思うこと。
「制服は3種類あるんですよね、あるんですよね、
ですよね!」
…EsLoadは10年くらい前から某ゲーム中毒に陥ってまだ完治してません
あと、内診台。
渚のセリフ、「朋也くんより、開かれましたっ!」はオトコとして微妙なラインなんだよなぁ…怒っていいのか苦笑していいのか…
ネタとしては悪くないんだけど(^^;
…まぁその後(夢のシーン)にある早苗の「秋生さんの1/2ですねっ」というのは完全無欠なまでに切腹モノではあるが。
「届いたんだから、いいじゃん」って朋也はん、それちと微妙にズレてるから。
そんな感じな久々CLANNADでした。