最近読んだ本
古本屋で聖書(新訳・旧約)を買った時には「何トチ狂ってるんだ」とは思ったけど、さすがに新刊とはいえ15000円相当の本は重かった。何せハードカバーの本だけで5冊買ったもんなぁ。マジ泣きそうな勢いでしたよ、レジでお金払った後って何であんなに本が重く感じるんでしょうか。買う前はそれほど重さを感じないんですが。
それはともかく、ここ1ヶ月で読んだ本の中で、印象深かった本を2冊ほど取り上げて見ます。
まず、堺屋太一氏の「団塊の世代(新版)」
1976年11月に単行本で刊行された、という事は何気に年上だったんですね、この本(苦笑)
ボクってば公称平成生まれの永遠の16歳ですから(可愛らしく)
…それはともかく、最初の5ページから21ページに「新版によせて」と銘打って堺屋氏の解説がありますが、これだけで読む価値があります。何せ新版の価格が500円なのに、人口ピラミッド、中学公民の時に学んだ記憶があるのですが、それの復習になりますからね。へぇ~勉強になるなぁ…と思いながら読んでました。
で、肝心要の内容ですが、こちらはさほど…という感じでしたね。残念ながら。この本は、当時読んだ事があって、当時の社会を生きていた人が読むと「温故知新」という具合でいい感じなんでしょうが、自分らの世代だと、話題作り以外の何者でもない、というのが自分の結論なんですよ。
そういう意味では、自分ら20代よりも30代後半以降の人が読むといいと思います。
まぁ1話目の1980年代中葉、2話目の80年代後半は「そんな時代だったんだね」という感慨深いもの(?)を得ましたけどね。
特に1話目のコンビニエンスストア、今では日常的にある代物を扱った小説は「へぇ~」と言う具合で、何となくノスタルジーな印象を受けました。
コンビニエンスストアは革新的な運搬のルール(何と言ったかは忘れた)の上にある、というのは何かの本で読んだ記憶があるのですが、それを扱っていない分、模索していたであろうコンビニエンスストアのチェーン店展開の苦労が忍ばれます。
この新版、文庫本で500円というのが何気に安くてお手ごろ価格、という具合ですので、推薦も含めてUpしておきます。
まぁネットに上げても(本来読むべきであろう世代が)この記事を読んでいるとは少し考えにくいんですがね。
自分の親父殿にでも推薦しておこうかな(^^;
印象深かった本のハードカバー代表(笑)が、トレーシー・ローズの自伝。
トレーシー・ローズでピンときた貴方、立派なオヤジ確定です(^^;
ちなみに、自分はトレーシー・ローズという女性はこの本で初めて知りました。
…ホントだよ(誰にも信じてもらえ無さげなのが悲しい_| ̄|○
まぁぶっちゃけていうと、ポルノクイーンとして名を馳せたのが、そのトレーシー・ローズという女性なのですが、凄まじいですね、この女性。
何と言いますか、才能というのは扇状に広がる、というのを具現化した女性、とも言えます。
ポルノクイーンとして名を馳せたのは、たまたまそういう世界に突っ込んだからでしょう。そしてセラピーに通って新しい人生を見つけて(ポルノではない)女優として活躍し…なんていう「人生書くあるべし」と言った方がいいでしょうか。もっとも、平凡な人生も決して捨てがたいものではありますけど。
トレーシー・ローズという女性は、ポルノから身を興した、と言えるんでしょうが、この女性の真骨頂は、それを踏み台にして新しい道を模索して実現したこと。ポルノ自体は決して誉められた職業ではないのですが、そこで名を馳せたのはあくまで「きっかけ」であって始まりに過ぎず、偶然の要素が強かった。
しかしそしてそこからは「道を定めて」女優の目指し実現したのは、本人の才覚以上に努力があったからでしょう。キャリアウーマンとかほざいている馬鹿女に読んでみろやと言いたい一冊です。
しかし思ったことが一つ。
何でハリウッドにゲイが多いの? って改めて書くことじゃないと思うぞ。
もひとつ。
トレーシー・ローズのカラー写真を知人から「エローイ(・∀・)エローイ」と言われたケド、全然エロくないと思うぞ(官能小説とかえろげとかのやり過ぎかもしれんが(汗)
で、たった今、至近に買った本を数えてみたのですが、トンでもない数になってました。
ハードカバー・10冊
文庫本・23冊
スマン、これ、全部読んだんだよな…オレ(汗)
(ただし聖書は全部読んでない。あんなクソ長いの全部読めるかってんだ(  ̄д ̄)、ペッ
確かにファミレスで徹夜したのが4日ほどあったが…我ながら凄いな、読む時の勢いって。2,3年に1回ほどあるくらいだったけど、今は無職だから時間は事実あるんだし…
ちなみに、源氏物語は現代訳された本と訳されていない古文の物で合計7冊でつ。現代語訳されたのは厚めの文庫本3冊ですが…ゴメン両方読んぢった(汗)
あと、官能小説も当然買い込んで読みました。
その数8冊。
意外に少ないな、なんて思っていないので念のため(; ̄∀ ̄)y-~~
その中で、美少女文庫っていうのがあったんで、興味本位で3冊ほど買ったんですが、これがまたクソつまんない。
マヂでクソつまんない。金返せ、ってな感じ。
いや、そりゃぁ普段読んでるのがハードポルノなんで、それと比較するのがマズいのかもしれんが(汗)
多分、この美少女文庫っていうのは、えろげから来てると思う。
だから内容も陳腐、いろエロ部分も陳腐。
どこもかしこも陳腐で、挿入絵がちっと可愛いくらい。中には鉛筆描きっぽいのもあったし。いや、それは嫌いじゃないけど
ちょっとこれが商売になるの? なんて思ったけど、商売になってるんだろうなぁ。それなりに数も出てるし。本屋の占有率狭いけどさ。
そういった意味では、えろげユーザ向けに作ってるんだろうね。二次元系の女の子満載(?)だし。
でもどうなんだろ、ターゲットユーザを確保できてるんだろうか。
少し読んで気になったり。
あ、多分、おいら以後は美少女文庫って買わないと思う。
まず、エロくないし、中身が異様に陳腐。
まぁハードポルノでも内容が陳腐で水戸黄門ばりにパターン化されたやつあるけどさ( ̄∀ ̄A``
そうそう。
最近買ったワケじゃないけど、鏡裕之氏 の書いたえろげタイトルを小説化した「Milkジャンキー2」はまだ良かった。「Esの方程式」と「黒の断章」はえろげ本体のシナリオが長かったからばっさり切り捨ててる具合で、少し粗があったけどさ。どちらにせよ、そちらの方は美少女文庫よりはマシ。挿入絵の方はショボいけどね(笑)
そういった意味では、えろげを小説化したものを読んでからえろげを買う、というのは賢い選択なのかもしれないね。
そんな最近読んだ本。
しかし…インプットするにも程があるだろう、オレ…つかやる事あるだろ他にorz
PS
音楽CDもアルバム2枚、シングル4枚ほど購入してたり。
当然Zardが入ってる(苦笑)
近況
最近、インプットでえらい時間がかかってる。就職活動はほとんどなおざり状態。ああん、ヤバ杉。
インプットっつっても、本を読んでるだけ。
10日ほど前に新宿紀伊国屋に逝って15000円相当の本を、古本屋では5000円相当の古本を買ってしまいました。
ちなみに、Livedoorがプロバイダ辞めたので、ついに自宅からインターネットに逝けない有様。
そりゃぁ最近、Blog更新が滞るワケですわ。
申し訳ない。
人を信じるという事、その愛
馬鹿馬鹿しいにも程がある。
人はその感情を持ち続けられる存在ではない。良きにせよ悪しきにせよ、いい方向にせよ悪い方向にせよ、人は、変わる。
古き良き刻(とき)―――
昔を想い、今を嘆く。
己が望まぬ移ろい行く他人の心。
それすら許容できぬというのに、よりによって。
自分にはまるで関係の無い、とまでは言わないが、さして影響があるわけでもない。こちらに火の粉を飛ばさない範囲で好きにやってくれ。
しかし、これだけは言わせて欲しい。
お前さんが望んでいるのは何だ?
自分が望む世界こそが、真実だとでも?
永遠に続くとでも?
故郷(くに)に帰る知人、地方へ移った友人、徐々に寂寥の感を帯びてきた自分の交友関係。
しかしなんつーかなぁ、そんなにレンアイって重要事かなぁ。確かにレンアイがらみで下手を打てばさ、刃傷沙汰とか結婚式当日に逃亡劇とか襲撃事件とかまさに人生の華を咲かせる事になるほど「素晴らしきかな我が人生」(自分のんじゃないけど)ってな感じになるワケで、そーゆー観点から見ると重要事っちゃー重要事なんだろうケドさ。
一つ疑問に思うのがさ、「レンアイ」ってさ、世の中で最上のものと思っている風潮があるじゃない。
それが少し不思議なんだ。
突き詰めて言うと、そして体験した事なんだろうけどさ、人の心って移ろいやすく、変わっていくじゃない。
なのに、その「心」のつながりを男女間で成し遂げたものが永遠に続いて裏切られる事がない、なんて思うこと自体…本来期待すべきじゃないと思うんだ。
無論、努力してそれをつなぎ止める事は可能なんだろうけどね。
確かに、そういう「弱さ」を持つがゆえにつながり続ける事が出来たらいいんだろうけど、哀しいかな、そういう事ってあんまり、無い。
そうでもなければ、離婚、なんていう言葉に象徴されると思うんだけど、そういう別れるシチュエーションなんて少ないと思うよ。
でもさ、惚れてたんだろ?
一時の気の迷いだったんだろうけどさ、少なくともその瞬間は「アイして」いたんだろ?
あの時のときめきとかさ、一緒に楽しい時を過ごしたんだろう?
その事を忘れちゃいけないと思うよ。
それが今じゃどうだい。
少し後ろめたくないかい?
人の恋路を邪魔する奴は、なんていう言葉があるけどさ、向こうの気持ちは決まってるんだろう?
だったら仕方ないじゃないか。
向こうは、こちらを決して振り向く事は無い。
頭では分かっていても、感情ではそう思いたくない。
その気持ちはわかる。
分かっている「つもり」だけどさ。
誰が言ったのか忘れたんだけどさ、恋愛って申告制だ、っていう言葉があるのよ。
おいらはそれを正しいと思う。
相手に向かってさ「愛してる?」って聞いて「愛してる」って言葉で確認してようやくホレたハレたっていう所に行き着くと思うんだ。
つまり…さ、向こうがそういう事を言わない、そして回答しないって事が分かっている以上、もうどうしようもないと思うよ。
すまないな、おいらにも性格って言うのがあって…こういう事はストレートに言ってしまう性質(たち)なんだ。
上っ面だけの慰めの言葉を出せるほど…
だから自分に協力を求めるなよ。
確かにできるだけの事はしたい、と思うよ。
でもさ、人には本分っていうものがあってさ、自分はちょっと色恋沙汰には疎いほうなんだ。そちら方面に臆病になっている事もあるからね。経験も薄いし、多分、ロクな事にならないと思うからさ。
だって、どこぞの結婚相談所だったっけ、そこでの診断で「別れ方『だけ』が上手いよ」なんていう診断結果を喰らった人間だから、自分。情けない話ではあるけど、さ。
だいたいさ、別れる以前に付き合う事が可能かどうか、ってところが問題だろう、って思わないか?
おいらもさ、過去に2回のレンアイ経験がある。お前さんより少ないと思うけど、まぁそれはここでは関係無いから置いとこう。
一つは8年前に、もう一つは5年前に終わった。
薄く長く続いたのが前者、濃く短く終わったのが後者という具合。
前者は…まぁ人生の過ちというか、自分の勝手で無理矢理(?)終わったけどさ、後者に関しては、多分少し引きずってる。
何せ、一人の人生をブチ壊したようなものだからね。
多分、それは今も変わっていない。
若気の至り、とかいうやつで、抱え込んでもいい、と思ってた。横溝正史の「夜歩く」の主人公ぶるわけじゃないけどさ。
だけど、それは先方の親御さんから拒否された。彼女もろとも姿まで隠す実力行為に出てまで。
そりゃぁあの時は恨んだよ。
だったらどうやって贖えというんだ、という感じでさ。
今だから冷静に振り返られるけど、あの時のおいらときたら話にならないくらいイタかったぜ。
でも、それは先方から見たら―――常識的に考えてもそうだけど―――悲劇のヒーローを気取って自分の人生を誤らせるつもりか、というもう一つの「悲劇」を抱え込む事になるんだよね。
あるゲームにもさ、同じようなシチュエーションがあって、親父さんが人生の先輩らしく「君は君の人生を大事にしなければならない」って説教するシーンがあるのよ。ぶっちゃけて言うと「誰も幸せにならない事はするな」っていう事。
同じゲーム…というかゲームがらみでもう一つ言うとさ、別のゲームなんだけど、印象深い部分があって、「浮気をしていない彼を愛してるだけ」っていう台詞があるのよ。
別の女性、それも複数の女性と関係してるのをうすうす感じた女性が、その不満みたいなのを同じ女性の上司にブチまけるシーンなんだけどさ。
で、その不満をブチまけて上司に返された言葉がさっき言った「浮気をしていない彼を愛しているだけ」ってやつ。
その上司は続けてさ、「人を愛する、という事は、その人の全てを受け入れる事」って結論付けるのよ。
その彼が浮気をしていようが何だろうが、それが「愛する事だ」ってな具合にね。
で…話を自分の事に戻すとさ…ってどこまで話したっけ?
ああ、先方の親御さんが彼女と一緒に姿を消したところまでだったっけ。
で、彼女の親御さんが彼女を連れて…どっかに消えた時は、すっげぇ荒れたぜ、自分。荒れた、というか荒んだ(すさんだ)って言った方が正確かな?
まぁそういう事もあったけどさ、少し冷静になれた今は、先方の親御さんの気持ちは痛いほどありがたいと思ってる。
あの、先方の親御さんが電話越しに言った最後の言葉。
「あの娘の事、愛してくれて、ありがとう」
今でも、その言葉は脳裏に浮かぶよ。
別にそっちの趣味があるわけじゃないけどさ、今では、彼女を愛していた事以上に、先方の親御さんの愛情を大きく感じている。
形の違いはあれ、多分、そういう事だと思うよ。
人を愛する、という事はそれほど単純な事じゃない。
相手がいてこそ恋愛とは成立するのだし、その相手にも、そして自分にも幾重にもつながる人の関係がある。強弱の差はあれど、ね。
その関係の上で「たまたま」成り立った恋愛という細く、弱い糸。
運命の赤い糸、なんてよく言ったものさ。
糸というのはそれほど強いものじゃない。無理な力がかかったり、場合によっては時間がかかるだけで、糸は切れる。
だからこそ、人は会ったり話したり身体を重ねたりして、その糸が切れないように、維持する。
遠距離恋愛っていうのを体験した事あるからわかるけどさ、しょっちゅう電話したりするのは、声が聞きたい、というのもあるけど、そういう「維持」も兼ねてるんじゃないかな。
で、不意にその維持を怠ったために…なんていうのが、「遠距離恋愛は続かない」説になると思うよ。だってさ、声を聞く事、話す事しか出来ないんだから。
その糸を維持する努力はしたのかな。
少し、その事を振り返ってみたらどうなんだろう。
無論、努力が結果に結びつかない事は多々ある。
それは相手に問題があるのかもしれない。だけど、ここではそれは問題にならない。
君自身にも問題があった、と判断せざるを得ないよ。少なくとも、別れるに至った、という所を考えると、ね。
大多数の例では、そうなる。
まさか、今回だけはそういうパターンじゃなかった、なんて事は言わないように。
そういう泣き言は、間違いなく君自身を傷つける事になるんだから。
ところで君は、彼のどんなところに惚れたのかな。
外見の良さ?
それとも心の広さ?
女性として母性愛を感じられたから?
何が君の心を捉えたのかは自分には分からない。
でもさ、そうやって相手を非難するという事はさ、「自分を愛してくれている」彼を愛していた、という事になるんじゃないかな。
だからこそ、自分の事を考えなくなった彼を―――。
ま、説教なんてガラじゃないから今日はこの辺にしておくけどさ。
というか、順番を考えずに物事を言って混乱させちまったかもしれない。その点は謝るよ。
だけどさ、いつまでかかるか分からないけど、考えて考えて考え抜いて、「よりよい選択」をするようにしようよ。
「bestな選択」ではなく、「more better」ってやつ。
こういう言い方は嫌いなんだけど、「like」と「love」の違いに近いかな?
全然違うような気がするけどさ。
さしあたり、それが自分の言いたい事。
じゃ、今日はこれで帰るよ。今度は、是非明るい話題を提供してくれよ。
もっとイイ男を見つけて既成事実を作った、って話題でもいいからさ。
そうしたら、そんな不幸な男の為に祝杯をあげてやるさ。
タシにもならん説教になって悪かった。
本来なら、こちらが愚痴を聞く役に回らなければならなかったのかも知れないのに。
あ、タシにならないついでに言っておくとさ、自分の好きなZardの曲で「Just beleave in Love」ってのがあってさ、それ聞いてみるといいかもしんない。まぁその曲じゃなくてもさ、音楽を聴いたり、考えたりする事は無駄じゃないと思う。やってみる価値はあると思うよ。
それじゃ。
エロゲーでつらつら考えた事
ぶっちゃけどーでもいー話なんで読み飛ばしてください。冗談抜きでどーでもいー話なんで。
ヒロインの魅力や物語展開の良さですが、なんつーかはっきり言えば商業的にどうでもいいのにそこだけ重要視されているのは何故なんでしょうね?
そもそも、「売れれば(高評価を得られれば)ユーザが勝手に脳内変換して好意的解釈する」というのが自分の持っているイメージ。
っつかオタク市場であれば、それが基本でイメージ大増幅(妄想とも言う)のための「きっかけ」さえ作れば「勝ち」だと思うのですが。
物語重視という観点から見ると、まぁ確かに物語展開が良く出来てないとユーザから「ぶっちゃけなくても死ネ」と酷評されるか、存在自体忘れ去られるかなんですが、そもそも物語展開の良さなんていうのは、ある種の才能が必要でしょう。
これがイイ(・∀・)b と制作サイドが思うのは商売上当然なのですが、それを「最後まで」作ってしまおう、というのが根本的な問題かと。
結論(?)まで作ってしまえば、買い手である「ユーザの妄想に任せる事が出来ない」のであって、人気の伸張が望めないような気がする。
ユーザが求めるのは「ユーザの求める何か」であって、ヲタというのはその「求める何か」を妄想するのを得意(?)とする人種。突き詰めて言うと、登場人物の設定(見た目や性格を含む)を作れば80%は「糸冬 了」するのであって、物語展開は竜頭蛇尾…だと困るけど、スタンダードな展開(特に色恋沙汰)にしといて、過去をある程度隠すとか、エンディングは「続きがあるよ」という意図にぼかすとか、そういう事にすれば、ヲタは自分好みに塗り替える。
そうやってコストを抑えて商業的にばら撒いて(?)、後からファンディスクでつ(あはん)と提供してその時に「結論(?)」を出せば、それを好むユーザは見てくれるし、好まないユーザは「激しくスルー」すると思う。
要は、見た目と性格でえっちシーンに至るエロゲーを作っておいて、後で詳細な物語を展開すればおっけ、というのが結論(ちょっと違うが)。
なんつーの、出会いました即えっち、なんてクソみたいな展開をイメージされると困るんだけど、
登場人物の魅力を前面に打ち出したのが前編(幼少期のエピソードとかイメージ増幅に必要なの)、制作サイドが本当に提供したい物語展開を後編、というイメージされるといいかな?
前編で女の子の「ひとりえっちシーン(前菜)」、後半で「ふたりえっちシーン(メインディッシュ)」と考えるといいカモ(本当か?)
どーせ物語展開を重視してる、とゆー事は、それに近いエピソードも作るの可能でしょ? この人物だったらこーゆーエピソードがアリだな、とか(当然ありがちであっても構わない。100%ソレだと困るけど)
だったら登場人物の魅力をたっぷり出すよーな代物を先に展開しておけばいいしょや。
それでコケたらどーせ本編もコケる話なワケだし、ある種ユーザに阿った(おもねった)ゲームを作るのも一つの手段でしょう。
っつかさ、物語重視を謳っているのに音楽にはあまり目を向けないのはどういうワケよ?
Keyブランドって父性愛を蔑ろにしてるから個人的には大嫌いな範疇に入ってるんだけど、音楽ありき、っていう点は自分は評価している。
いい物語というのかなぁ、そういうものは「想いを調べに乗せて」っていう感覚が好きなのよ、自分。
中国史でもさ、そういうシーンはいくつかあって、あの始皇帝を暗殺しようとしたケイカ(漢字が出ねぇぇぇぇぇ)とか詩を謡う場面とかあるのよ。あと、項羽と劉邦もさ、その謡う所もあるのよ。項羽だったら「錐行かず」(錐というのは馬の名前。三国志だと赤兎馬が有名)とか言って「天が我を滅ぼそうとしているなんたら」を謡ってるし、劉邦も「天下の名士を集めて四海(東西南北の意味)の守りにあたらせたい」とか謡ってるし。(このあたりきっちりライバルとしての対比になってる。後世の作とは思えるけどさ)
日本だと語呂のいい5・7・5の俳句・川柳とか、5・7・5・7・7の短歌と同じような感じで。
つまり、詩でも伝えたい台詞とかを「謡う」っていうのは結構雰囲気を出す物であって、自分としては「物語重視を謳うんなら音楽もきっちり作らんかい(怒)」と言いたいワケなのよ。
それは(お金がかかるかもしれないけど)既存の音楽でも可能でしょ? 何でそれをしようとしないのかが分からない。
っつか「普通に作れ」って言いたいんだけど。
これは自分の話だけどさ、そういう物語重視を謳うなら「こういうシーンもあるよね」というのはある。
書くのも気恥ずかしいけどさ、女性が男性に言う台詞で
(喧嘩になったシーンを想定してね)
「ふざけないで! あなたに何がわかるって言うの、私の何がわかるって言うの!」
なんて台詞と一緒に平手打ちカマして雨の中飛び出す、なんてシーンを思い浮かべているけどさ、これはZardの「Broken Heart」っていう曲がテーマソング(?)になってる。
(うっわ~書いててすっげぇ恥ずかしい(*/□\*))
あと、戦場で勝ち戦の中、不意に飛んできた弓矢で非命を落とす事になった主人公の臨終の言葉が、
「すまない…○○(女性の名前)」
とヒロインを想い行く末を案じるシーンには、これまたZardの「フォトグラフ」がテーマソング(?)になってる。
(主人公死亡、というのもどうかと思うが…)
他にも、若い(っつか幼い)主人公が惚れた女の子(年上)がいるんだけど、その女の子は別の男に嫁いで行くシーン
(女の子は主人公の事を弟以上には捉えていないけど、互いに淡い慕情を持っている、というのは自覚している)
「○○(主人公の名前)、あなたもいずれ恋をして、その女性(ひと)を守りたい、と思う刻(とき)がくる。だから…」
(ここで主人公は耐え切れず脱兎のごとく逃げる)
というシーンはこれまたZardの「Just beleave in Love」がテーマソング(?)になってる。
数え上げるとキリ無いからこの辺にしておくけどさ、何気にこういう「特別な」シーンってまず音楽ありきだと思うのよ、自分。さっき書いた「想いを調べに乗せて」っていうのは、まさにそれ。想いのたけを曲に乗せて歌うのが基本だと思ってる。
まぁそんなシーンじゃぁ泣けねぇズラ(当たり前だ)、とか、Zardの曲ばかりはいかがなものよ、とかそういう心無い突っ込みをされると凹むけどさ、やっぱり曲っていうのはそういうものの為にあると思う。決して、音楽が売れている理由、っていうのは「音楽が好きだから」という理由だけじゃなくて、「曲に想いを乗せられる」から作っている、というのは決して見逃せないポイントだと思う。
誰だったっけ、Keyブランドの…麻枝氏でしたか、その人が「音楽と一体化うんぬん」とか何とかいう台詞は、少なくとも「想いを調べに乗せる」事が出来る点からも、ゲームに相応しい『仕様』だと自分は思ってる。それを先にやらかされたのは悔しいけど、さ。まぁどちらかというと技術的手法なんで、あんまり悔しくはないんだけどさ。
どちらにせよ、物語重視を謳うんなら「音楽も作れよ」と自分は思う。
(まーこれは自分が小さい時にピアノ(ちゃちぃけど作曲もやってた)やってたから言える事なのかもしれんが)
で、話を戻して。
制作サイドが「この物語展開は泣ける!」って思うのは勝手だと思うけど、それを商売にした時、「本当に売れるのか」という商売上の命題というのは厳然としてあって、「商売として成功する」にはいくつかの方法があると思うのよ。決して「物語展開がいいから売れる『はず』」というんじゃなくて、「売れたから『物語展開がいい』と評価される」という見方もあっていいはずなのね。
で、突き詰めて言うと、ファンディスクみたいなのを先に作る、という逆転の発想とあると思うのよ。
何でもいいからファンディスクのような物(要えっちシーン)を作っておけば、それ(登場人物の諸設定)を好むファン(ヲタ)が出てくるのは当然の話であって、それを無制限に受け入れる馬鹿(ヲタ)を相手に商売すればいい、という話になる。
そういう狭いカテゴリ(ユーザ層)を確認すれば、自然と物語展開に厚みが増す(というか馬鹿(ヲタ)が好みそうな物語展開に持っていける)だろうし。
それに付録をつける形で制作サイドのマスターベーション的物語展開(そうは思ってないだろうが、事実そーゆーのが多いぢゃねーか)をつければ、商業的にはまだしも成功に持っていける感じでしょや。
馬鹿(ヲタ)の中の馬鹿(利口者)がマスターベーション的物語展開に「コレはイイ(・∀・)」と吹聴すればそれに付随する馬鹿(ヲタ)と普通者(えろげユーザ)が出てきて「結果として同じ」になるって(本当に物語展開が良ければの話)
あ゛、それをどうすればいいかって?
そんなモン知るかヴォケ(怒)
知ってたら誰だって商売で成功するに決まってるぢゃねーか。成功例があればエロゲー業界が不況と言われる現状を生み出してるかよ、ってんだ
(  ̄д ̄)、ペッ
そもそもだなぁ、エロゲー業界って見た目から分かるが、中古市場が大きいじゃねーか。
現においらだって「加奈~いもうと~」とか「Air」とか「君が望む永遠」とかは中古で買ったんだし(時期的なものもあるが)。
そこに目をつけてみたらどうだい。
小売店から見たら新品・中古なんてゆーのは「ぶっちゃけどっちでもいい」んであって、売れれば本望、って世界なんだから。
小売店はその存在から在庫リスクなんていうモノを抱え込んでいるのであって、安定供給こそが小売店からみたら「望ましい形」なんだ。
そういう構造的なモノを考えずに「(新品の)エロゲーが売れない」というのは単に「営業努力」してないからだろう。
小売店は「買い取り価格のコントロール」という営業努力を恒常的にやっている。ソフトハウス・ブランドはその点に思い至るべきだろう。
小売店が「営業努力を行った」結果が中古市場が大きくなった原因で、
ソフトハウス・ブランドが「営業努力を怠った」結果が新品市場が小さい(中古市場と比較して)原因だ。
新品市場が「価格の高さ」がゆえに中古市場に「喰われている」のではない。価格の高さはあくまで副因だ。
モノが無いが故に中古に頼らざるを得ない現状が小売店にある。そしてそれは常に危険な「在庫リスク」を抱え込む要因であって、小売店から見ると望ましい状況ではない。
それを打破しうるのが、エロゲーのライセンスを持つソフトハウス・ブランドだ。当たり前の話だが、中古市場のユーザや小売店がライセンスを持っているわけではない。
新品が売れない、なんて泣き言言うくらいなら、それを打破するべく頭を使うなり足を使うなりしてパッケージ販売の売り上げを上げるように努力すべきだろう。っつーか「足を使った営業・イベント」が有名になるという事態はいかになんぼなんでもマズいだろ、業界として。
早い話が、売り上げを上げる為というのと、売り上げが見込めるエロゲーを模索するために、小売店に顔を出せ、という事だ。営業努力というのはそういうものだろう。開発室にこもっていろエロな事を考えているだけでは売り上げに貢献せず、まさに言葉どおりのマスターベーションだ。
それを分かっているのが、否、分かっていないからこそ、売り上げに貢献しうる頭と足を無駄な使って不要無用な「泣き言をどこぞのサイトで吐露するハメ」になっているのだろう。
最近(小売店を裏切る(?)事になるが)DL販売というのが出ている。しかしこれは潜在的なリスクを伴う。技術的なモノが無いと絶対に余計なトラブルを抱え込む代物であって、人的・コスト的にシステムとしてはまだ未成熟としか言いようが無い(商業ベースに乗せるのは危険の意味)。プログラミング技能すら「行使しようとしない」業界にそれが可能と思えるのか?
資金的にも技術的にも無謀だ、なんていうのはすぐに分かる。殊に資金を持たない企業だったらすぐに根を上げるだろう。「仲介業者(その筋のプロフェッショナル)」が存在しない流通(商業)は信用が置けない、と身をもって経験するに決まっている。その対策で追加コストがかかるのが目に見えているからだ。
だったら「より容易なパッケージ販売」に力を入れればいい、とは誰だって分かる話だ。
っつかカード決済?
馬鹿言ってるんじゃない。エロゲーなんていうポルノ産業の持つユーザ層を見てみると、それがいかに無謀な物かどうか分かる。カード決済をやるには、どうしてもユーザ層の(社会的な)成熟度を見ないと、コスト以上に労力がかかる。そもそも、カード決済をしてでもエロゲーを買うユーザがどれだけいると思っているんだろう。1日でも半日でも1時間でも小売店を見てみれば現状が分かろう、というものだ。
DL販売はともかく、カード決済は絶対に失敗する。少なくとも「撤退できる余裕」を持ち、ノウハウを持った「システム運営会社」に委託ないし提携しないと、通常運営にすら支障をきたすのが目に見えている。両者を持つ企業があるだろうか?
それだけなら、いくつかの企業(エロゲーメーカ)を上げる事は可能だろう。
しかし、しかしである。
少なくとも最初の3年間(広く認知する・商業ベースに乗せるのにそれくらいはかかる)は利益が出ないと予測されるのが、そのカード決済@エロゲー業界だ。それだけの体力を持つとなると、現状を見る限りではエロゲー業界では皆無と言える。
推定で言うなら、それに資金的・タイトル的に耐えうるのはアリスソフト様のみとしか言いようが無い。しかし、それを賄えるほど売り上げがあるかどうかは疑問だ(当然これにも逆転の発想は存在しうる)。
また、逆の見方からすると、キネティックノベルという新ジャンルに挑戦しようとしてるVisual Arts様がそれに相応しい実力を持っているかもしれないが、エロゲーでカード決済&DL販売しようとしてない所から、エロゲーをカード決済して売り出すのが愚かしいか分かる。
そんな事を思った散歩に出かけて武蔵小金井から小金井公園まで歩いた挙句スロで7万投資10万バックという既知外沙汰をカマした一日。
ア フ ォだオレ…_| ̄|○
ちなみに~
適当7,8機種くらい:5K~10Kずつ投資(65K2回ほど銀行突入)でゼロバック
その後にヤケのヤケんパチで
天下布武:2K投資60Kバック(くらい。もちょっと少ない)
覚醒ロング+決戦順押し勝利(・∀・)bグッジョブ!
覚醒ロングと決戦勝利はもうちっと長いと思ってたケドorz
ジャグラー:1K投資10Kバック(くらい。もちょっと多い)
お座り1発で4連荘即ヤメ(・∀・)bグッジョブ!
先告知ばっかでネジれなかったケドorz
鬼武者3:2K投資30Kバック(くらい)
いつの間にかBig3連+バケ1発で250抜け即ヤメ(・∀・)bグッジョブ!
怖い意味で迫力あり杉て二度と打てませんorz
…あり得ないよこの展開(笑)
勝ったからいいようなものの…っつーか最初の65K投資の存在って一体…
あ、ちなみに、考えるところがあって、まだ就職依願は出してません。
考えるところが合って、それを就職活動で使用するために。今週一杯、下手すれば今月一杯はそれにかかるかも。
上記した経営戦略論をまとめるのに、意外に時間がかかりそうな勢いなので。
スロった事はともかく(爆)、散歩に出て考察したのは効果アリでしたわえ(無い髭を撫でながら)。
コスト
前回「何故エロゲー業界を目指しているか」という記事を書いたが、コストという至極当たり前の事(というかコスト概念は「常識」であるがゆえに頭から吹っ飛んでた)を書いてなかったので、補足という意味を込めてコスト概念論を書いてみる。
ただし、自分がいた業界はソフトウェア開発ではなく、ネットワークインフラ・サーバ構築がメインだったので間違っているかもしれません。また、細々な点は差っ引いているのでご注意下さい。そこ違うよ、という指摘がありましたら、後学のためにご教示いただければ幸いです。
あと、就職活動用でつらつら考える事になりますので、雑文になってます。あと、当然間違っている(不要な点・必要な点)があるかもしれませんが、その点は自分の想像できる範囲で書いてますので、「それは違うだろ」なんていう突っ込みはコメントで書いてくれればものすごく自分は助かってハッピーな気分になれますのでよろしくお願いいたしまする。
基本的に、売り上げ本数を見越した売上高から逆算する形で諸経費を捻出する。
仮に1万本(一応ヒット作と言われる部類になるが)として、希望小売価格を1万円@50%(流通に卸す割合)で1本あたり5000円の利益とすれば、企業には5000万入る勘定になる(単純化するために1万本・1万円とここでは試算する)
そこから開発費を捻出する事になる。
まず、人件費。
プログラマー、CGグラフィッカー、シナリオライター、制作管理の4業種は最低自前で用意することになる。
原画やSE(サウンド・エフェクト)などは外注として別コストとして考える。
プログラマーは簡単なテキスト系アドベンチャーゲームだったら1人で事足りるが、常識的に考えれば2人はどうしても必要だろう。
(後からデバッグやスクリプトプレイヤー用シナリオ作成にも回せる点も見逃せない)
CGグラフィッカーは枚数にもよるが、枚数を150枚、1人あたり月産60枚とすれば2.5人/月で済むので1人で事足りるだろうが、背景その他で2人は確保する、という具合にしておく(原画を先に仕上げておく必要があるが…)。もっとも、原画担当にもCGを依頼すれば(別コスト)人的負担を軽減できるが。
シナリオライターに関しては、結構微妙。中身にもよるが、プロット案(含むアダルトシーン等の絵・字コンテやSE指定)で1ヶ月、実作業(テキスト打ち)で数ヶ月を見越す必要がある。
制作管理は概ね1人で済むが、営業を兼ねて動かす事も可能だし、制作フォローを含めて2人は確保したい。
大体上記のような感じで組み立てた表は以下のような感じになるだろうか。
こんな感じ(18KBのExcelファイル。IEだったらそのままなんで念のため)
人件費が30人/月かかる勘定。1人/月を50万~100万と考えているので平均して75万円で換算すると、2250万円。
もう少しどうにかなりそうな気はする…というか上手く回せそうな気がするけれども(少なくとも万能選手がいれば)、あくまでリアルビジネスで使うわけでもないし、何より業界について詳しくないので、その当たりどうしようもない。
原画に関しては、1枚1万円と概算すれば、140枚で140万円。2万円としても280万円。何気に安い。概算で200万円と見越しておこう。
サウンドに関しては、これは想像すらできない。2.5ヶ月で曲つきで2人かかるとすれば、100万(外注)×2.5×2=500万円程度になるのだろうか(もう少しかかりそうな勢い…)
声、声優は…いくらかかるんだろう。冗談抜きで不明。少なくとも、場所(スタジオレンタル)は何気に高いから…500万?
営業に回る足代も結構馬鹿にならない。
秋葉原(東京)・日本橋(大坂)・大須(名古屋)の3箇所は必須(2泊3日)としても、札幌や福岡などの大都市にも行く必要があろう。
地域別で換算するとしたら、北海道・東北・北陸・関東・東海・関西・中国・四国・九州・沖縄の9箇所。
行き・帰りで4万円、2泊で3万円、その他足代で3万円で合計10万円。
平均3回行くとすれば、10万×9箇所×3回=270万円。諸経費も併せて300万と言った具合か。
他にも流通周りに営業をかけなければならないのだが…
また、雑誌に出す広告費も大きい。
詳しくは知らないけど…これも500万ほどかかるのだろうか。
これらを合計すると4250万円。
プロジェクトとして考えたらそれほど高くは無い(安くも無いが)が、エロゲー業界という事を考えれば高い方に部類されるだろう。
というか、単価を高く見込んでいる事、売り上げ本数を多く見込んでいる事(5000万の収入と換算)を考えれば少し無茶に過ぎるだろうか(人件費は少なくとももう少しかかる)
どちらにせよ、出費は3500万円以下に抑える(750万以上のコスト削減)ようにしないと、ビジネスとして成功させるのは難しい。3000万に抑えられたら上出来。っつか2割削減…って結構大きいような気がするけど。
ソフ倫発行のシールは1枚20円とか聞いたけど、良くは知らない。
そういう諸経費は今回考慮しないけど(Webとか)、上記したコスト概念では利益はあまり出ないなぁ。1000万の利益が出れば上々(?)なんだろうけど、諸経費を含めれば500万にも行かない雰囲気。
削減できるところはどこだろう。サウンド周りだろうか(自前で作るには機材費がかかる)。
機材費を100万、曲作成できる人を捕まえればデバッグ・シナリオ打ちに回せる(4人/月=300万)としても100万の削減になる。また、次回制作のコスト削減になるのは大きいかもしれない。
営業代は削減しにくい。
というか基本なので削減には当たらない。
原画はコスト削減になりそうもない。
CGグラフィッカーを兼ねれればいい具合になるのだが、コスト削減としては少し実現性に乏しい。
スタジオレンタルはほぼ固定費なのでどうしようもない(声優無しという手段も無いではないが市場的にはどうだろう。要市場調査)
万能選手がいれば人件費は抑えられるかもしれないけど、それほど人件費を抑えても効果は望めない(もともと人件費とはそういうものだが…)。
プログラム補助(プログラマーB・サウンド・制作管理B)に回せればある意味理想形で、それで4.5人/月(337.5万)+サウンド(500万)で約800万の削減になる。死ぬほど忙しくなるが、この削減案は大きい。
う~ん、難しい。
逆の言い方をすれば、流通に乗せる事が出来れば(売り上げが上がれば)何とかなる。
やはり営業に力を入れて制作コストを削減する方法がいいだろうか(関東を北関東・南関東に分けて営業するなど。そもそも営業費はそれほどコストがかからないのも大きい)
重要な点から置き換えて考えてみる。
営業・広告>CG(原画)>シナリオ>サウンド
プログラマーは必須なので考えない。また、声優(声当て)も市場調査如何によるのでここでも考えない。
やはりサウンドを削減するところから考えるべきか。
サウンド兼制作管理を兼ねれれば大きい。単純に400万(機材費別途用意)の削減になる。
最大限に削減できるのは、サウンド 兼 制作管理 兼 シナリオ打ち(プログラマーB)。これで774.5万。
750万円以上のコスト削減が可能とすれば、これ1発で解消できる。
プログラマーB(シナリオ打ち)を制作管理Bに回せば4.5人月で337.5万円。
CGは原画描きと兼ねられればいいのだが、こちらの質を落とすとユーザからそっぽを向かれる可能性がある。というか、むしろこちらはもう少し労力(人/月)を増やした方がいいくらい。削減するべきではないと思う。
小売店・流通への営業か、広告費を抑えられるとしたら、どの程度だろうか。100万程度にしか収まらないような気がする。だったら抑えない方がいいかもしれない。下手な小細工なんとやら、という事を考えれば、効率的にやって浮かす事をメインに考えた方がいいだろう。コスト削減できない、という結論に至るかもしれないが。
本当にもう少し上手く回せそうな気がするけど、ノウハウはそれぞれのソフトハウスが持っているだろうから、今回はここまで。
修正しようにも知識が不足しているのもあるけど。
あんまり役に立ちそうもないけど…まぁこんなものなんでしょうか?
え゛、実現性に乏しいって?
たりめーだそもそもそんなモン異業種の人間に分かるわけないぢゃねーか大体知識も無い人間にコスト管理できるわけねーだろーが細部までわかるほど(Webとか本とか)マニュアルも参考書も無いんだからっつかエロゲー業界に知己が居ないんだから仕方ないだろ大体お金の問題って部外秘なんだから知ってても教えてくれないだろうから想像するしかないんだよ(以下省略言い訳しながら逆ギレ中)
あ、そうそう。
当然、これは「スタンダード」な方法なので念のため。
他のやり方もある、というのは付記しておきます。Blogには書かないケドヘ(゜∀゜ヘ)アヒャ
ある日の出来事
気晴らしに立川でDDRしに逝ったついでに本屋に寄ってみたら、むらむらと衝動買いの発作があらわれて(毎度毎度のことだが…)姜尚中(カン サンジュン)氏の本(タイトル:在日 ふたつの「祖国」への思い)まで購入してしまうという痛恨事をカマしてしまいました。
で、買った後に気づいたのですが、文庫本サイズと思って買ったら実は文庫本サイズよりちょっと大きくて「マジすざけんな」と思わず叫んでしまいました畜生TVでもちょっと痛い(?)存在かと思ってたらこんなところでも迷惑(?)かけやがってでもTVでの発言は芯の通った意見で「この人ちゃんと思想というか哲学持ってるな凡百の論説家と違って好感持てるよでもやっぱり自分とは意見が真っ向から違うよね」という感想を持っておりまして決して貴方の事は嫌いではありませんでもやっぱり文庫本サイズにしなかったのは自分の事嫌いだからだろスマンハードカバーの本と比較したおいらが悪かったでも悔しいから官能小説の隣に並べてやるから覚悟しやがれ(何にだ)っつっても官能小説は恥ずかしいから全部ブックカバーつけてる(笑)から見た目は大丈夫でしょうっつか本の値段が800円ってお前それ実はどこぞに送(以下検閲削除)する為か女に入れ揚げる為に稼ごうとしてるんじゃねーだろなひょっとして朝鮮総連がまとめ買いして配ってたりしません?なんて無粋な事はこれっぽっちも思っておりませんから許してくださいでも本を買ったとゆー事はおいらは客で神様なんだよなってことはお前さんよりおいらの方が上なんだな分かったかこんちくしょうゴメンナサイ嘘です冗談です本気にしないで下さい笑って許してちょんまげ早速神棚に納め…じゃない読ませていただきます今後ともよろしゅうに内容が良ければ他の本も買って読んでみます貴方の身入りにはならない古本でしょうけど新刊は多分大韓民国様の斜め上イベントフラグが立たないと買わないと思いますがそれでもよろしいでしょうかちなみに今回初めて貴方の事を在日と知りましたそれだけで800円の価値はあったカモってそれが結論かオレ?
(ちなみに本のサイズが異なるのは結構重要ごと。本棚のサイズとゆーか並べられている本と大きさが異なるとゆーのはバランスが悪くなる)
で、本を読んだ感想ですが、何と言いますか、「朝鮮人から見た内容だよね」という具合でしょうか。
分量を取っている朝鮮半島の統一ですが、姜氏は「しなければならない(マスト・ビー)」という意見を展開しています。ですがそれは、多分関係国(ぶっちゃけ日本・亜米利加・中国・露西亜)はそれを望まないですよ。
日本に限って言うなら拉致問題が解決すれば後は波風立てずの路線でしょうし(っつかそれが最大の焦点)、また統一されたら経済的にうんぬんで余計な出費を強要されるのが目に見えてますし、その観点から見ると朝鮮半島の統一は「現状では勘弁してくれ」というスタンスでしょう。
突き詰めて言うと、韓国は当事国ではありますが、大国の意向に逆らえるほどの影響力は無いですよ。
韓国は確かに世界的に見ると経済大国ですが、相手が極端なまでに悪すぎます。
また、内に反日・反米・反中、外に親中・親米なんていう露骨な態度を取っているのも大きいです。
姜氏は亜米利加の事を「長期的な戦略を持ってなかったから朝鮮に迷惑をかけた」という論旨を展開してますが、多分亜米利加からみたら「お前に言われたくない」と思ってますよ。太陽政策なんて結局掛け声だけで事実上終わっていますし、6者協議でも脇役の地位に甘んじてますし。
個人的な意見になりますが、隣人たる朝鮮が統一を望むのなら、感情としてそうした方がいいと思います。ですが、国益・国策という観点から見るとそれは少し難しい。何故なら、強烈なまでの反日という点を差し置いても、交渉を前提とする相手国家が「法・慣習に則って行動しない」というのは致命的です。
つい最近、韓国の大統領が亜米利加のライス国務長官に「独島は韓国の領土というのに同調(協力)してほしい」と要請しましたが、それは国際法に則って行動していない―――話すべき「筋が違う」事に他ならない。
インドネシア、マレーシアでは33年に及ぶ裁判で領土問題を解決させてます。帝国主義時代だったら戦争と言う外交手段で解決させている問題です。そういう領土問題を解決するのがハーグ国際裁判所なのですが、
大統領という主権国家のトップに在る人が亜米利加という大国に要請する行為がどのように見られるのか―――そういう所が改まらない限り、朝鮮半島は朝鮮半島以外を国土とする国の意向に振り回されてしまうと思います。
かの福沢諭吉も「学問のすすめ」で『学問をして国民のレベルを上げれば国のレベルも上がる』と書いています。これは歴史が証明した真実です。
無論、国民性というのもあるかもしれませんが、事実、日本は学問に力を入れたからこそ(時こそかかりましたが)不平等条約・関税自主権を粘り強い交渉で乗り切ったといえるでしょう。
それと同じように、本当の意味での「学問」をすれば、いずれは朝鮮人主導で朝鮮半島の統一も成せるはずです。
多分、歴史に学ぶ、という事はそういう事です。
先ほども書きましたが、感情で言うなら、韓国と北朝鮮の同化、いわゆる「統一コリア」を達成するのは自然な成り行きでもありますし、現状でご家族の方が南北を隔てて離れ離れになっているのは心が痛みます。
しかし、それはあくまで感情に過ぎません。また、極端な事を言えば他人事でしかありません。
その上で書くなら、他人事のつらい事には心が傷みますが、それが我が身にかかってくるなら話は変わります。
「統一コリア」が日本の敵―――実質的に敵ではありませんが、「交渉をしようとしない」点から便宜上「敵」と称します―――になるなら、
あなた方朝鮮人が同胞を大事にするのと同様、自分も日本人という同胞を優先して物事を考えます。
それが自然の成り行きであるのは、誰しもが認める事だと思います。
誤解を恐れずに書けば、反日―――それも国旗を燃やし、皇家を侮辱しておきながら(皇太子妃の変質的エログロFLASHなど)朝鮮に対して侮蔑を許さない、という最低極まりない行為―――は注視すべき問題ではないと考えます。
しかし、国際法といった「お互いが認識・遵守すべきルール」に則って行動しようとしないのはさすがに目に余る行為です。
何故ならそれは「住む世界が違う」という認識につながるものですから。
だからこそ、福沢諭吉のいう学問を求め、自国史観あるいは「朝鮮は被害者だ」という認識「しか」推進しない教育―――姜氏の書にもその点が見受けれられるが―――は改めて欲しいと自分は切に願います。
それこそが多分、日本人・朝鮮人(在日含む)を隔てる大きな溝だと自分は考えます。
東西のイデオロギーや「第三国人に象徴される蔑視」が原因ではない。
お互いがお互いの違いを認識出来ない事―――片方向ではなく両方向に必要な認識―――こそ、最大の問題でしょう。
自分は日本に国籍を持つ者であり、韓国・北朝鮮に国籍を持つ者ではありません。
ですので、韓国・北朝鮮に「教育の在り方」をとやかく言える資格も権利も持ちません。
何故なら、それは内政干渉に当たるのだから。
もし、自分の主張―――「教育の在り方」に問題がある―――が正しいものであるとしたら、
両国民の間柄をより良いものにするためには、それぞれの国民あるいは在日の方に代弁してもらうしかない。
それを是非、姜氏にやってもらいたい。
また、日本に言いたい事―――教育などの面において―――があるのなら、それを是非聞かせて欲しい。
そういう互助こそが、お互いのためになるのだから。
自分から見たら、姜氏の主義・主張には同意できない。
しかし、芯の通った思想を持ち、その原理原則を尊ぶ、という一点を鑑みれば、
自分の言葉が正しいのかを本人が正しく判断し、間違い・訂正点を指摘してくれる人である、と推察できる。
それは「信用の置ける」人を意味する。
ここではまさに隣人という言葉が相応しい人に他ならない。
姜氏の本を読んで分かった事は―――あくまで「分かったつもり」でしかないが―――姜氏はやはり朝鮮人という視点から物事を考える傾向にある。
だが、日本で育ち、日本でその生活を営んでいるが故であろう、TVでの発言を見れば「朝鮮から見る歴史背景」と「日本から見た歴史背景」という2つの視点から俯瞰して見る両属性を持っているように見受けられる(やはり朝鮮から見る方にウェイトを置いているようだが)。
著名人の中では最高レベルにあるといっていい。
しかし、何かが足りない。
前々から感じていた事だが、姜氏の「言葉」が自分の心に響かない。
人間として尊敬できる人と自分は判断しているのに。
それは自分と主義・主張の面で合っていないからだろうか。
姜氏が「2つの祖国」を持っているからだろうか。
世代が違うからか。
ならば逃げることはない。
反転してこう言ってみようではないか。
朝鮮半島もわが「祖国」であり、日本もわが「祖国」であると。
失郷者を気取るよりも、あえて嘘でもいいから、そう呼び、自らをそこに一体化させることで逆に国家や民族を突き抜ける回路がないのか、それを探り当ててみよう。
そう思うようになったのである。
(”在日 ふたつの「祖国」への思い” 姜尚中 著作 P23.より引用)
この文面に何かを感じる。
「祖国」に何かを感じる。
「祖国」という言葉の裏に何かを感じる。
しかし、それが何か分からない。
自分にとって、言葉が明確でない。
ニュアンスが伝わらない。
もどかしい。
もう少しなのに。
後少しで、姜尚中という人物を自分なりに把握できるはずなのに。
姜尚中という人物を通して朝鮮を見る事ができるはずなのに。
姜氏と朝まで生テレビなどでよく議論を戦わせている小林よしのり氏の著(漫画)に「台湾論」というのがある。
それには蔡焜燦(さいこんさん)氏の言葉がある。
「あさり」という言葉はそのまま台湾語でホメ言葉になっている!
「あさり」は日本が台湾に残した日本精神(リップンチェンシン)なのだ!
(”台湾論” 小林よしのり 著作 P265.より引用)
書いておくと、姜氏と小林氏はそれぞれ主義・主張が異なっている(自分も両者とは異なっている)
また、引用した書物には、それぞれ「朝鮮」と「台湾」という異なった「国」でもある。
(歴史的な背景に大日本帝国が領土としていたのも象徴的ではある)
「姜氏の書」にある「姜氏の言葉」は自分に響く事なく「朝鮮」という「国」を見渡す事が出来なかった。
「小林氏の書」にある「蔡氏の言葉」は自分に響き「台湾」という「国」を見渡す事が出来た。
この差は一体何だろう。
言葉の重み、と一くくりにするには短絡的に過ぎようか。
結論を書くと、何も学べなかった、と言うのが事実だろう。
慰めにしかならないが、このような考察(のようなもの)の積み重ねが後々に生きる、とポジティブに考えるしかない。
残念な事だ。
そんな事を思ったある日の出来事。
【補足4/17 6:20】
韓国・北朝鮮にとって都合の悪いところといいますか、日本が韓国・北朝鮮にしたいい事をぼかして書いているんですよ。この本では。
意図してぼかしている、しかし読み取れる人には行間を補足して読み取れる、という具合に。ついでに書くと、亜米利加や日本がした悪いところとかはばっちり書いてある。
それを考えると、「この人きっちり商売やってるなぁ誰相手かは知らんけど(笑)」と色んな意味で心底感心しました。それもどうよと(自分の感想について)微妙に思わないではないですが。
【補足終わり。ちなみに没文章から抜粋】
何故エロゲー業界を目指しているか
自分がエロゲー業界を目指している理由。
別にむっはー( * ̄∇ ̄)=3したいから、という理由ではないのは最初に書いておく。
長文なので覚悟めされい。
一応断っておくが「自分の趣味」が主たる理由ではない。
いわゆる「主・従」という言い方をするが、そういう意味では、エロゲー業界を目指している理由で「エロゲーが趣味だから」というのは「従」にあたる。
決して、「主たる理由」に「エロゲーが趣味だから」でエロゲー業界に入ろうとしているのではない。
エロゲー業界とは、どのような業界であるか―――
エロゲー業界はオタク産業でもあるが、厳密に言えばポルノ産業でもある。
この2つの点が重なっているところに着目すべき点がある。
まず、オタク産業について。
以前にも記事で書いたが、日本人は気質としてオタク傾向にある。オタクというのは可能な限り趣味にお金を費やす「存在」だ。そのオタクの「財布の紐を緩める」ものに、「萌え」や「キーワード」という言葉―――簡単に言うとフェチズム―――がある。
他者から見たら「それはどうよ」と言われても「オレが好きだから『仕方なく』買うんだよ!」といった具合だ。
「姉・妹(義理を含む)」「眼鏡」「ペドフィリア(幼女趣味)」「制服」「巨乳・貧乳」「陵辱」「痴漢」「近親相姦」「ノーマル」「SM」、ざっとあげてみただけでもこれだけある。(例外として「ソフトハウス・ブランド・クリエイター・声優の知名度」もある)
その「どれか」に引っかかっただけで、オタクの心は揺れる。後はオタク自身の余裕―――金銭的やタイミング―――が後押しするだけで「消費者」の一丁上がりだ(新品・中古を問わず、質が良ければいわゆる「信者」になる)。
そのオタクにカテゴライズされているターゲット層を見過たず、そのターゲット層が求めるポイントを抑えれば、少なくとも一定ラインの収益を上げられる。
また、何か「一点局所的な当たり」があり、それが多数のユーザを掴めば爆裂する、という強みもある。
実例としてあげれば、前者が「アリスソフト」様・「エルフ」様、後者が「Key」ブランド様・「age」様にあたるだろうか。
次いで、ポルノ産業について。
古来よりポルノ産業というのは、日陰の存在ながら延々と生き延びてきた。厳密に言うと死滅しないできた。
人間は本能からであろう、性欲に類されるものは下火になっても無くなる事は無い。そういうしたたかな「腰の強さ」を持っているのがポルノ産業だ。
世間の目が厳しい業種であっても、それを求めるユーザがいる限り無くなるとは考えにくい。
当然、人によって性欲のベクトルが違うのでその点を履き違えないように憂慮すべきではあるが(例えばネクロフィリア(死姦))、よほどの事が無い限り、制作サイドとユーザの想像できる性欲のベクトルの差異は小さいだろう。その意味では「やりやすい」と言えばやりやすい。
オタク産業という視点で見ると(20代男性がメインターゲットと言う事もあり)ユーザの嗜好は見えやすい。
ポルノ産業という視点で見ると、ユーザの欲望(ニーズ)も反映しやすい。
エロゲー業界を俯瞰すると、この2点の産業的構造が見て取れる。つまり「何が必要なのか」と言うのが明確なのである。
商業的に考えれば、これほど分かりやすいターゲット層を持つ業界は他に類を見ない。
極論ではあるが、ターゲット層の望むCG・シーンやシチュエーション・構成などをセールスポイントにするだけで事足りる。
下世話な言い方をすれば、アダルトシーンそのものだけ―――究極的にはCGだけ―――でも充分にユーザが「満足」すればそれだけで勝ちであり、価値があるものとされる。それがポルノの本質だからだ。
「他はまるで駄目だけど…」という評価はむしろエロゲーとして本望であろう。
ポルノ的なものを維持し続けさえいれば、少なくと「クソゲーだけどエロ(CG・シーン)は良かった」というユーザの『性欲』から来る「消極的高評価」を下されるだけで済む。
ゲーム(シナリオ含む)としてもエロも駄目だった、というのでは、目も当てられないし、殊にビジネス・商業的に「後に続かない」のは致命的でもある。
モノにもよるが、ポルノ的要素しか評価されない、という状況は延々に続くとは限らない。
ポルノ的要素―――人間の持つ潜在的な欲望―――で「一定層のユーザ(オタク)」に満足を提供しつつ、
ゲーム的要素―――オタクの琴線に触れたポイント―――でヒット作を生み出すかもしれない。
ポルノ産業であるが故に死滅しにくい業界でありながら、オタク産業独特の爆発力を秘めている。それこそがエロゲー業界だ。
もともと人間が持つ潜在的な欲望―――性欲を満たすポルノ―――を維持しさえすれば、いずれは「間違って」オタクの渇望する「何かにぶち当たる」かもしれない。正確に書けば「ぶち当てるまで模索」して「いずれは見つける(作る)」までの話だ。
実はエロゲー業界で魅力的なのはそこだ。
これこそが自分がエロゲー業界を目指している「主たる理由」である。
エロゲーが趣味の一つであったからこそ、エロゲー業界を考察する理由の一つではあったが、「エロゲーが趣味だから」というのはあくまできっかけに過ぎない。
詰まるところ、趣味であったが故に見えてしまった「業界の特異さ」である。
他にも理由がある。自分の持つ業務経験―――ノウハウ――が活かせる、という点だ。
エロゲー業界には本質的な問題がある。
問題点と書くと語弊があるが、組織的・商業的に未成熟と書けば分かりやすいかもしれない。
未成熟なのは、販売日の遅れ・営業に関する業界話から容易に想像できる。
販売日の遅れは普通に想像できる。
あちこちのWebにも書かれているし、自分にだって想像できる。単純にマスターアップ(完成)出来ず、流通に乗せる事ができなかった(小売店に届かなかった)だけの話だろう。それ以外に考えにくい。
エロゲーはナチュラルな意味でソフトウェア開発だ。
ソフトウェア開発は他業種と同様、企業間による契約か、販売に廻す為に行う。契約であれ販売用であれ、納期というものは基本的に存在する。
モノないしサービスを納期までに作らなければ、(利益が上がったとしても)不要無用の出費を出す。それは究極的に言えば、社員の懐に入るはずの金が無駄に消えてしまう、と言える。
通常、ソフトハウスやブランドを内在している企業(経営サイド)から見たら、その無駄の出費を極度に恐れる。
当然と言えば当然だ。
企業の至上命題は利益を上げる事であって、それ以上でもそれ以下でもない。
利益を上げるからこそ社員に給与も支払うし、場合によってはボーナスも支払う。
経営サイドから見たら、
「いいモノを作ってしまいましたので開発が遅れてしまいました」という開発リーダー(プロジェクトリーダー)の「心意気」は
「開発を計画通りに進めませんでした」という言い訳にしか聞こえない。
いかに顧客(ユーザ)に「いいモノ・サービス」を提供しても、(経営戦略にまで関わる)計画を狂わせてしまうのは本質的に『本末転倒』の部類に入るからだ。
事実、その本末転倒―――無駄な出費を出してしまったと推察される―――をしてしまって解雇された人がいるという。あるブランドの公式BBSに書き込まれている。本人が自ら公表した。
自分が今まで携わったプロジェクトは、ソフトウェア・ハードウェア的なものを作る技術がある、というよりも、
いわゆる「コミュニケーション能力」、すなわち「他者との意思疎通能力」を重視されていた。理由は単純で「ミーティングでちゃんとモノを言えるよね」という事だ。(技術・知識があるのは前提条件であるのは言うを待たない。また、無かったとしても「スケジュール内で自学でき、期日までに仕事をこなせれば良し」という風潮でもあった)。
そういった職場に務めていたせいか、最初に(週・日単位)スケジューリングを立てる事が納期の遅れを防ぐ、そういう経験則を学んだ(厳密には納期の遅れを「体験しなかった」)。
刻々と迫るエンド(納期)を睨みつつ
●スケジューリングされた日程がこなされているかを把握・確認し、
●他チームと連携すべき歩調を合わせ、
●想定されるトラブル(概ねスケジュールのズレ込み)を予測して対策を考案・実行する、
という3点こそが、今まで納期を超えなかった最大の理由だろう。
突き詰めて言うと、
スケジュールの大まかな流れを組み立てる「計画力」と、
ミスや遅れの存在を前提、あるいは察知する「想像力」と、
ミスや遅れのフォローする「調整力」、
というのが納期までに仕上げるコツ(スケジューリングの技術論)といえる。少なくとも、自分の目を通して見た(アフターケアも含む)プロジェクトはそのようにして完遂された。
そういう観点から見ると、開発の遅れから生じる販売日の遅れは、
納期達成の為の経営努力の無さ―――無論「職人」「技術屋」が作るものゆえに拘りもあろうが―――が明確に見て取れるのだ。
そこに、自分の持つ「業務経験」を活かせる可能性を持つ。
それは当然、可能性に過ぎないが、1プロジェクトで
・予測できる出費、すなわち1人/月のコスト(50万~100万×月数)と
・予測できない出費、すなわち納期遅れによるx人/月のコスト(50万~100万×月数×人数)
の2点を考えれば、どちらがより「損失を抑えられる」か、という自分のアッピールになるだろう。
誤解が生じるかもしれないので書いておくが、決して自分は「良質の物語」を生み出したいがため―――シナリオで泣かせるという風潮に「便乗」するため―――にエロゲー業界を目指しているのではない。そもそも、自分にシナリオで泣かせる作家性の存在を信じていない。
自分に作家性を信じていれば、より容易な小説を書けば済む話というのもある。
いわゆる「戦略(ストラテジー)」と「戦術(タクティクス)」の違いがある。
商業として成功を収める戦略的存在としてエロゲー業界を見定めており、
戦術的手段として「一定層のユーザを満足『できる』ポルノ的要素」と「大多数のユーザを満足『できるかもしれない』ゲーム的要素」を見越している。
一応自説を書いておくが、シナリオの良質さ、というのは戦術的手段に他ならない。それを戦略というレベルに錯覚してしまう事こそが、雨後のたけのこのごとく、ソフトハウス・ブランドの衰勢興亡を起こしいるのだろう。
それは「戦術的手段」>「戦略的構想」という誤った見方をしている(ソフトハウス・ブランドが多い)、というのが自分の分析だ。
潜在的顧客であるターゲット層をいかに顧客と成すか。その点を見誤っているがゆえに「数が売れない(売り上げ本数が上がらない)」という事象を生み、「エロゲー業界は不況」という現象となっているのであろう。
経営学で「不況のときこそチャンス」という言葉がある。
それはあまり考えなくても売れた好景気の時と異なり、
戦略的に「ターゲット層のニーズに合わせた製品」と「製品作りのチーム・メンバー構成」を構築し、
戦術的に「ターゲット層のニーズに合わせた製品作り」と「ターゲット層への広告・営業」を実施する必要があるから出てきた、歴史的な背景を持つ言葉だ。それは、鉄血宰相と言われたビスマルクの言葉「凡人は経験に学ぶが、私は歴史に学ぶ」を思い出させる。
(もっとも、これは経験を否定する言葉でない。よりよい方法(モア・ベター)を模索するための―――特に政治・外交で必要な―――言葉であるのを付記しておく)
まさに、現在のエロゲー業界を指し示していると言えよう。
ちなみに、自分が「エロゲー」で表現したいものは、無いとは言わない。それは確かに、胸の中(うち)にある。
それは歴史だ。
「ような」という表現を使いたくないが、未だテーマなど主軸たる「言葉」が見えていないのでここではそのような書き方をするが、
史実で言うと、ジャンヌ=ダルクのようなレジスタンス、山田長政のようなサクセス・ストーリー、
フィクションで言うなら、「ロードス島」シリーズ(小説)やタクティクス・オウガ(ゲーム)のような戦史、
そういった「仮想歴史を描く」事こそ、エロゲー業界で表現したい事ではあるが、それはあくまで主たる理由ではない。
あくまで「可能であれば」やりたい、というものであるし、極論を言えば、そういったものを描きたければ、エロゲーでなくとも同人レベルで表現すればいいだけの話だ。
(それをエロゲーで作りたい、と「押し通せる」事が可能であれば、それはそれで自分の影響力、言い換えれば立場の強さを測る事にはなろうが)
整理する為にも書いておこう。
自分がエロゲー業界に入る理由は、エロゲー業界が
「ポルノ産業」であるがゆえに死滅しない(最低ラインは想定できる)業界でありながら、
「オタク産業」であるがゆえに爆発力を秘めた業界でもある。
つまり、一朝事あらば「功なり大をなす」可能性を秘めている点だ。
そういう業界でありながら、エロゲー業界は現在、不況と見なされている(販売されているタイトル数が多すぎる現状もあるが、「アタリショック」的な要素は見受けられない)
しかし、それを打破しうるソフトハウス・ブランドの数が極端に少ないと見受けられ、そこに「自分が食い込める」要素―――あくまで実践のない経営論・制作論ではあるが―――を含んでいる。
また、制作サイドの問題―――関連各所の小売店・流通にまで与える影響―――がある。販売日の遅れから推察される制作管理の問題だ。
そこに、自分の今まで経験してしてきた制作管理のノウハウが活かせる可能性を持つ。つまり、自分から企業(ソフトハウス・ブランド)に必要性・希少性をアッピールできる点も見逃せない。
これら3点を考えれば、自分のように「夢も野望も持つ」人間に言わせれば、まさにエロゲー業界は格好の業界といえる。
あとは、世間が持つポルノ的な壁を乗り越えられるかが、業界入りするかの分水嶺と言えよう。少なくとも、親には公言を憚る業界であるのは間違いない(「ソフトウェア・アプリケーション開発業」とぼかす事になるだろうか)。
話は飛ぶが、鏡裕之氏のBlogに「市場価値と組織内価値」という興味深いエントリがある。
給与、という観点から見ると、冗談ではなく半減するだろう。少なくとも、手取り20万は絶対に超えない、と容易に推察される。
しかし、自分のように夢も野望も持つ人間にはそれを「甘んじて受け入れる」覚悟はあるし、そもそも市場価値という見方をすると所詮その程度であるのは理解している。
企業(ソフトハウス・ブランド)から見たら、「自分の持つ可能性」に初任給ないし試用期間のバイト代を支払うのである。それが必要最小限の生活を送る給与であるのは、ある意味で必然である。
本来なら、成すべき転職ではない。
だが、その「成すべきではない転職」を行った歴史上の人物がいる。
もっとも有名なのが、豊臣秀吉の弟、豊臣秀長。
彼は、充分以上に食っていける農民から、それ以下の現金収入―――事実、食う事しか出来ないレベル―――しか取れない兄に付いて行き、3年後には旧に復し、7年後には近江長浜で1万2千石(6億円相当@1石=1貫文=10万円&5公5民換算)、最終的(20年後)には100万石超を成した(無論、戦国の世ゆえの伸張の大きさもあるが)。
自分の心を奮い立たせる為に敢えて言おう。
他人に出来た事が、自分に出来ないはずは無い
それはあくまで可能性でしかない。
その、自分の持つ可能性を信じてくれる企業。
有名・無名は問わない。
その可能性を信じてくれた企業に応える事こそ、自分の為すべき事であり、為したい事であり、それが企業の為に繋がり、そしてようやく自分の世俗的な欲望―――収入や知名度など―――に反映されるのである。
鏡氏の言う「組織内価値と市場価値を分けて考える」のに応えて書くと、自分は無自覚に自分を高評価―――組織内価値と市場価値を見誤る―――ほど自惚れてはいない。自惚れるとしたら、自分の夢や野望にこそ自惚れている。
それは臥薪嘗胆の意味する所を「識る(しる)」所以でもあり、そして現在の価値を知るのにつながっている。そこから派生して自分の持つ「市場価値」を上げる―――転じれば「夢や野望を達成させる」―――にはどうしたらいいのか、を見極めるのに行き着く。
エロゲー業界という観点から見ると、「自分が作りたいモノ」ではなく、「市場が求めているモノ」を目指す。
そうして得られるもの―――自分の夢や野望―――を手に入れるのが、自分がエロゲー業界に入る理由である。
誤解を恐れずに書けば、エロゲー業界は人生設計の技術的手段に過ぎない。
エロゲー業界を目指すのは、「たまたま」そういう存在が「身近にあったため」に過ぎない。
別にむっはーε=(゜∀゜*)したいから、という理由ではないのは、最後にも書いておく。
加奈~いもうと~【エロゲー専科】
言わずと知れた、キング・オブ・泣きゲー。
エロゲーはエロスありき、と考える人間にとっては、「ポルノより物語重視」を謳う「泣きゲー」の存在は深刻な意味で「敵」であり「異質な存在」である。
その筆頭候補エロゲーがこの「加奈~いもうと~」と言えるだろう。これに匹敵するのはいわゆる「Key」ブランドの「One」「Kanon」「Air」であろうか(「CLANNAD」もあるが、それはエロゲーではない)。
それに引っ張られる形で、ユーザも、(ゲーム性も含めて)エロスよりも物語を重要視するようになり、それに追従するかのごとく、物語重視を謳った「泣きゲー」ないしそれに近いエロゲーの存在は主流となった。
それほどの認知度であり、また「泣きゲー」の言葉を生み出したのが、この「加奈~いもうと~」というエロゲーと言っても過言ではない。
そもそも、エロゲーとはその名の通り「エロス」と「ゲーム」を組み合わせた造語と言っても良い。事実、98-DosからWindows黎明期のエロゲーには(使えるかどうかはともかく)エロスをある程度露出したのがほとんど―――というか全て―――だった。
泣きゲーの存在が顕著になる前に「痕(きずあと)」というエロゲーが存在したが、「痕」はどちらかというと「結果として」エロスよりも物語展開やヒロインの魅力、マルチシナリオ的要素が評価された。
敢えて(想像も含めて)書くなら、そもそも「痕」のセールスポイント(?)は非現実的な怪奇現象であり、その雰囲気を生かしたシナリオ(マルチシナリオ@ヒロイン@4人の従姉妹)であったろう。それはパッケージの露出具合から見て取れる。
決して当初から『「物語展開」>「ポルノ的要素」』を謳ったわけではない。
物語展開が良質であったがゆえにソフトハウスの意図を超えて「(いい意味で)ゲームの評価が一人歩きしてしまった」と書けば分かりやすい。
(事実、物語展開の良さは販売後に言われているし、同じ怪奇的要素を持った「雫(しずく)」が前作にあるのを見れば分かろう)。
過去に「痕」という例外を除けば、
ナチュラルにエロスを前面に打ち出したエロゲーか、
ヒロインに会いに行く、という感情移入を打ち出した「同級生」、
「七英雄物語」や「シャングリラ」のようなタクティカル・シミュレーションゲームの存在が多く、
「良質の物語を提供する」エロゲーは皆無だった。
(これには少し事情があって、現在と違ってゲーム開発に(労力が必要な)「よりプログラム依存」していた事情もある)
ところが、この「加奈~いもうと~」や「One」、「Kanon」といった物語性を重要視した(あるいはしてしまった)頃から、自分のように「ポルノ的要素」を重視するユーザには、最初に戸惑いを、後に憤りを与えた。何しろ、周りを見渡せば「物語重視」「物語重視」「物語重視」である。
それが「本当に」良質な物語であったら歓迎に値する。
しかし現実的に見れば、僅かな例外(DiaboLiQuE(であぼりか)など)を除いて、どうしようもない物語が粗製濫造されてしまった。はっきり言えば、「ロクでもないエロゲーを買わされてしまっている」のである。
消費者(エロゲーユーザ)から見たら、これほど腹立だしい現象は無い。
安くも無いお金を注ぎ込んでプレイしたら、その良質な物語内容に、ではなく、その悪質さに何度も泣かされるのである。まさに「泣きゲー」。
それが自分の持っている「泣きゲー」の印象だ。
自分に言わせれば、「加奈~いもうと~」に代表される「泣きゲー」こそが「エロスを放擲したエロゲーの粗製濫造」を大量発生させた諸悪の根源なのである。
そんな印象を持たされたエロゲーユーザが、諸悪の根源に手を出すであろうか?
スマン、買ってしまった(;´д`)ノ
さすがに時期が時期なんで中古でしたが。
しかしまぁ、そういう事情があるために、「何で泣きゲー『ごとき』をプレイせにゃならんねん」という潜在的な拒否感があったわけなんですよ。
去年の夏ごろでしたか、エロゲーと勘違いして「CLANNAD」を買ったのが運の尽き。所謂「泣きゲー」に手を出すハメになりまして、評価の高いエロゲーで言うなら、「CLANNAD」→「Air」→「Kanon」→「加奈~いもうと~」と時代を下ってしまったワケです、ハイ。
いずれKeyブランド発祥といえる「One」をプレイする可能性はありますが、「Kanon」がクソつまんなかったのでやる可能性は劇低でしょうけど、それは置いといて。
よく言われる事なんですけど、眼前に「死」を突きつけられた時、ぶっちゃけて言うと「あんた死病だから死ぬよ」と言われた(あるいは本人が気づいた)場合、目前に迫った死について考えてしまう為か「哲学的」になるそうです。たまに暴れたり好き勝手し放題する人もいるようですが、まぁ詰まるところ本人の資質なんでしょうけど。
それはともかく、哲学的になるためか本も読むし、読んだ事を自分なりに整理して書きとめたり、ですね。
特に世間の垢を知らない少年少女がそうなってしまった場合、本当に「美しい」そうです(当然、外見的な意味ではない)
前にも記事で書いたかもしれませんが、そういう少年(死ぬと本人も分かっている)のお話で印象的なお話があります。
新聞の記事で「命は地球よりも重い」という文面があったんですが、その文面を見て曰く、
「命はそんなに重いものではない」
未だ死を知らず、それを突きつけられた事の無い自分には、その真意は分かりません。
しかし、何故、少年がそのような考えに至ったかを時々考え込んでしまいます。
おそらく、この「加奈~いもうと~」のシナリオライターもそういった「死とは?」ないし「命とは? 生きているとは?」という事を真摯に考えた事があるのでしょう。だからこそ、「加奈が死ぬのが前提」という禁忌に近いテーマにして物語を紡いだのではないか、と自分は想像しています(事実かどうかは知りませんが)
ちなみに、ゆるゆると死に向かう人(病人)が身近にいると、本人が、ではなく回りの人(特に近親者)は結構キツいそうです(本人にもつらいものがあるでしょうが…)。
当然のごとく気を配ったりとか、お見舞いに行く頻度や交わす言葉(厳密には「交わしてはいけない言葉」)などで「精神(こころ)をやすりにかける」かのごとく、と聞いたことがあります。
自分も、そういった病人(不治の病を持っているのではなかったのですが…)をかつて1人知っていましたので、そういう事情は少し理解できるような気がします。
まず、「加奈~いもうと~」ですが、ゲームとして考えた場合は少し拙い点がありますね。もう昔のゲームですから仕方ない事なのかもしれませんが、音楽の切替でゲームプレイが止まってしまうのが少し痛い(CD-DAなので仕様なのですが)。
自分がプレイしたのはWin95/98版なので、リニューアルされた(らしい)ゲームではそんな事は無いのかもしれません。せっかく良質の物語ですので、まだ未プレイの方は、サクサクプレイが可能なリニューアル版の方がいいかと思います(詳しい事はまるで知りませんので念のため。最近の風潮ではロードの無いWAVEファイルなどを使ってる)
その他ではたいした粗はありません。ちょっと難点を言うなら、時たま感じた事なんですが、加奈の顔(CG)がちょっとアレ…だった事でしょうか。イベントCGなどを見て「え゛…」と思った事が(特にタイトル画面がゲフンゲフン)。こう書いてしまっては失礼なのですが、原画描き・CGグラフィッカーが未熟なら未熟なりに、時間が足りないなら足りないなりに、もう少しどうにかできたような気がしますが…開発期間の問題だったのでしょうか?
そういったちょっとした点で多少の難がありましたが、良質の物語だったからこそ「粗が目立たなかった」のはあると思います。
個人的には最重要機密事項の必要悪にしてコレが無かったら迸る熱いマグマこと白(Pi~)はドコに向けて放出すればいいんだ仕方ないからDDRで汗流して忘れるか的なえっちCGは完全無欠に使えませんし。
もっとも、「加奈~いもうと~」の場合は、使える・使えないというよりも、明かりを付いていない夜の暗がりの中でえっちしている、という雰囲気を重視してCGは描かれています。こういう物語展開というか濡れ場を「演出する」という意味での「えっちシーン(CG)」も、まぁアリと言えばアリなんでしょうけどね。
こういう「(えっちしている)雰囲気」を演出したえっちシーンと、少し異なったえっちシーンが「DiaboLiQuE」にあります。
「加奈~いもうと~」の場合は『(密やかな秘め事というイメージを与える)雰囲気』をCGで演出していますが、
「DiaboLiQuE」の場合は『(レイプや娼婦というイメージを与える)状況』をCGで演出しています。
たかだかえっちシーンですが、こういう細かい演出方法を考え付くシナリオライターはそんなにいませんね。まぁ細かい演出方法を考えつくからこそ良質の物語を書けるのかもしれませんが。
(ちなみに「DiaboLiQuE」のシナリオライターは『コレで使えたらマヂすげぇ』と発言している。それはどうよ)
で。
肝心要の物語れびゅ…に入る前に。
今までは便宜上「良質の物語」と書きましたが、自分が感じたのは「重厚な物語」という印象です。加奈と共に生活(主に闘病生活)する主人公の生き様、という物語のシナリオをきっちり作りこんでいる、と思ったからそう感じたのでしょうか。
小学・中学・高校と個々のプロットを作成し、そして連結させる構成力、それを表現した文章能力。
それぞれ一流と言っていいでしょう。よほどの作家性が無い限りは、筆の赴くまま書いてもこうは上手くいかないでしょうから(無論、プロットなどをあらかじめ構成した上で「登場人物が勝手に動く」という現象もありますけどね)
良質の物語と評価されているエロゲーに「君が望む永遠」や「CLANNAD」・「Air」がありますが、それらとは異なった意味でシナリオライターの能力の高さが窺えます。
「君が望む永遠」や「CLANNAD」・「Air」はそれぞれ作家性と言いますか、文章能力や展開に上手さを感じましたが、
「加奈~いもうと~」では先ほども書いた通り『シナリオの構築力』に上手さを感じました。
前者は「筆が進む」という作家性という一種の天才的資質が必要になりますが、
後者は「何が大事な事なのか」というポイントを抑えていく秀才的資質が必要、と書けば分かりやすいでしょうか。
両者ともシナリオライターとしては優秀な事に変わりは無いけれども、志向するベクトルの違いが窺えました。
(ちなみに―――
秀才=無能、という風潮がありますが、
それは学歴云々から来る偏見のイメージを受けている、
と自分は感じています。
それは明らかに間違いで、秀才的資質というのは、
よりスタンダードな手段、
簡単に書くと容易に勝算を上げられる算段を構築できる人
という意味を自分は持っています。
その点、誤解があるかもしれませんので、念のため付記しておきます)
で、物語れびゅ。
小学・中学と歩みを進めていく過程で、主人公が加奈を「妹として」認識し、(病弱だから)保護欲をかきたてていく「愛しさ」をゆるゆると表現しています。利害も打算もない正義感溢れる(?)小学時代、兄として妹を護らなければならない中学時代(主人公は高校生)。
内容的には大した事は無いのですが、小学・中学と状況説明しつつ「ユーザと主人公の一体感」を演出していく手段はまさに「巧みの技」という感じですね。冗長性を極力排除した短いながら複数のイベント、全体としてたるみが出ない順序や全体の長さなど、文章能力ではなく、構成力を駆使したシナリオライター能力はまさに非凡です。
メインシナリオと言えるのが高校生(主人公は大学生に至る)。
突き詰めて言うと「加奈が死を迎える様」こそ全て、と言っても過言ではないでしょう。厳粛なまでの死―――そこまでに至る最も重要な過程がここで描かれています。
加奈は自分が死病に冒されている事実を受け入れ、
主人公は「加奈のために」生きる事を理性、ではなく感情によって誓い、
(加奈と主人公の)両親は(加奈が養子という事もあって)「主人公>加奈」にウェイトを置く様。
人間ドラマ、と言えばその通りなのですが、人間が本能的に恐れる「死」をテーマに置いている為か、何気に「痛く」感じちゃいますね。
加奈は一時「死にたくない」と感情を吐露してしまいますし、
主人公は加奈に死んで欲しくない、けど加奈の生涯をより良いものにしよう、と心情ない交ぜ状態で大学を放擲状態しますし、
両親は加奈に死んで欲しくないけど主人公が「自分の人生を蔑ろにしている」のを気に病んでいますし。
主人公一家が「誰もが幸せ状態ではない」のに、主人公好きの一念で主人公と交際している「夕美」という女性だけが幸せ状態、というアンバランスさ(?)が痛さに拍車をかけているのかもしれません。
それを狙って演出しているのでしょうが…なんつーか…「底意地の悪い人間がいい物語を描ける」というのも判るような気がしますね( ̄∀ ̄A``
加奈が一時的に錯乱したのを除けば、加奈が根源的な死について考え、主人公が(いずれ終焉を迎える)加奈の生涯にいい思い出を作ろうと努力している様は綺麗ですね。
プレイヤーと主人公の一体感を実現したが故に表現できた、「幸せな今が続けばいいのに」という『想い』。ゲームという虚像の中にリアリティを感じる事ができました(これが多分「泣かせる」要因となっている)。
特に、秋風漂う海岸での思い出作りはいいですね。海水浴に興じる人がいないがゆえに、誰もいない海岸線。
空と海の広大さ、主人公と加奈しかいない舞台、いずれ冬を迎える季節。
そんな中、主人公に背負われて海岸線を疾る(はしる)加奈―――。
ここまでゲームのテーマ―――加奈と共に生きた人生のアルバム―――に相応しい「演出」は無いでしょう。
そうやって主人公は加奈と共に生涯のひと時を過ごしていきましたが、ついに訪れた瞬間(とき)―――
主人公よりも一足どころか何百足も早く、病院の一室で安らかに死出の旅路に出た加奈。
自分の心の中(うち)に存在する、加奈の最期の言葉。
「ありがとう」「さようなら」「ごめん」、あるいは他の言葉か。
加奈に限らず、死を根源的に見つめた人の投げかける言葉は一体何なんでしょうね。
あ、書くの忘れてた。
一応、このゲームもマルチエンディングに分類されますので、加奈が亡くなるエンディングしかない、という事はありません。ベストエンドと称して、加奈の病気が治る展開もあります。まぁそうでないと救われない、と言いますか、ゲームのメリットですからね、複数のエンディングを用意できるのが。
個人的な感想になるのですが、自分的には加奈が亡くなるエンディングが所謂トゥルーエンドですね。そういった意味では、加奈が生き延びるベストエンドというのは、あくまでベストであってトゥルーではなく、「こういうエンディングもあるよ」的な存在です。
リアル世界だったら話は別ですが、加奈という少女が「死を迎えて」こそ活きる物語展開と思っていますから。
こんな事書くと「お前実は加奈の事嫌いだろ」なんて突っ込みを喰らうかもしれませんが…
エンディングを全て見て思ったのですが、エンディングは6つも必要だったのかどうか疑問です。
加奈が生き延びるベストエンドは1つしかありませんが、
究極的に言うと、加奈が亡くなる5つのエンディングは1つに集約できたような気がします。
加奈逝去
→主人公発狂(夕美エンド)
→加奈の手記(知的エンド)
→加奈の録音メッセージ(ノーマルエンド)
これは自分の推測ですが、
シナリオライターが、ゲームとしてエンディングが少し長くなってしまうのを忌避したからエンディングを複数に分けたのかな、と思っています。
ゲームの主眼を「加奈の生涯の終焉」から「主人公の生涯の(一部の)軌跡」と置き換えたら、こういう展開もあり得る、と自分が思っているのもあるでしょうけどね。
ちなみに、加奈が生き延びるエンディングを見て思ったこと。
シナリオライター的には、加奈が生き延びるエンディングは「ゲームだから必要」と割り切ったのではないでしょうか。エンディングを
見る限りでは、生涯を共に生きる伴侶となるかどうかは「プレイヤーにお任せします」という内容ですからね。
…まぁシナリオライターが本当に腹黒い人間だったら確かにそーゆー展開にもしかねないですが(^^;
そういう「邪推」もあって、ゲームのエンディングは自分的エンディングに非ず、というのが自分的「加奈エンド」だったりします(当然、トゥルーエンドでもベストエンドでもない、特別な(?)エンディング、の意味です)
あ、そうそう。
エンディングの一つに、先ほど書いた加奈の手記を読む場面があります。
いや~。
おいらココでようやく「泣きゲーの泣きゲーたるを実感」しました。
公称平成生まれの16歳、実年齢下一桁切捨以下省略のヲタ系九州男児が…ってああん(可愛らしく)。悔しいので直接表現では書きません。お願いですから御想像しないでください。
総合的に考えれば、物語展開の良さに加えて、序盤にプレイヤーと主人公に一体感を感じさせた事から、まさに「一と言って二と下らない」良質の物語ですね。そういった意味では、まさに「(いい意味での)泣きゲー」と言えるでしょう。
「加奈~いもうと~」をプレイせずば人生の楽しみの8割どころか100割を失う、と言ってもいいくらいです。某サイトで「自宅を質に入れてでもプレイしろ」と書いているのは決して誇張ではありません。
ただ、一つ看過できないというか、書きたいことが。
開発期間の問題か、シナリオライターが面倒くさがったのか、実はナチュラルな展開だったのか、あるいは別の意図かどうかは不分明ですが、加奈に惚れてた勇太クンの存在。
邪推してしまえば、「シナリオライター的」には加奈の伴侶は主人公ではなく、勇太ではないのか、という疑問があるんですね。
シナリオ構成での「役割分担」というものを考えると、(印象が薄くなってしまっている)勇太の存在がクローズアップされます。
正確に書くなら、
加奈を「兄」として護るのが主人公の役割りであり、
加奈の「伴侶」として生きるのが勇太の役割りである、
という構図ですね(ゲーム展開上、そういう点がいくつかみられる)。
そうでないと、勇太という存在の意図がわからないんですよ。
シナリオの重厚な作り込みに反して、勇太の扱い「のみ」がぞんざいなために、そう感じたのかもしれません。
これに関しては、本当に自分の邪推なのですが…
で、その他。
音楽。
CD-DAで待ち時間が生じてしまうためにその良さが分からず。
えっちシーン。
無理(;´д`)ノシ
システム。
普通。
最期に。
これを読んでいる方で「加奈~いもうと~」をプレイした事が無い、と言う方。
他人様が自分に仰った言葉をそのまま伝えましょう。
「やれば分かる」
まさに、その言葉通りです。
是非、「加奈~いもうと~」をプレイする事をお勧めします。
エロゲー売り場に行くのが面倒くさいと言う無かれ。その気持ちはわかりますが、それを乗り越えただけの感動を味わえます。
Noel【エロゲー専科】
どぉ評価したらいいんだろぉ、このゲーム。
いや、最終的な結論から書くとぶっちゃけ面白くなかったんですが、必ずしも「こんなゲーム買ったおいらって馬鹿~(はぁと)」なんていう具合じゃないんですよ。
いい所が無かったのがまぁ目を瞑るとしても、決してドコが悪いとかいう所も無かった事もあって(使えるえっちCGは皆無だったが)、自分としても「なんで面白くないのか」というのが分からないんですよ。
なんつーの、例えて言うなら東京―大阪間を…って途中に富士山があるからこの例えは無理だけど、東京―ロス間を海面スレスレで飛行して「え゛これで終わりでつか?」と書けばある程度は理解してもらえるでしょうか?
まぁもともと、えちぃ要素も見た目(女の子の可愛さ)も物語紹介文も、普通にパッケージを見ただけだったら買う気はカケラも生み出さなかったんですが、諸般の事情とタイトルっぽいところに「少女漫画的戦闘耽美」なんていう一文があったんで、なんつーかキワモノ喰いのおいらとしてはその一文だけでついつい手を出しちゃったりするんですが、まぁ後から思えば「だったら自分の好きな陵辱系に手を出せよ」と自分で突っ込みを入れたのがエンディングを見てCGが全て埋まっている事実を見た瞬間なのですがそれはまた別のお話。
まぁそんなこんなで一体何がどうだったのか、はっきり言って自分でもわからないままゲームが終わったようですので一応レビューなんぞ書いておりますが、どうなんでしょうかね、このエロゲー。クリアしたのは事実っぽいんですが、少なくとも消化不良という感じが否めないんですけど。
先ほども書きましたが、このゲームのサブタイトルとゆーか副題とゆーか、そんな感じのもので「少女漫画的戦闘耽美」とありまして、自分は少女漫画なんぞ読んだ事ありません。
確か小学校に上がる前に「パタリロ」とゆーのをアニメで見た記憶はあるのですが、あれって知人(少女漫画好きでエロゲー好きな漢気(おとこぎ)溢れる無駄なバイタリティを持つ九州男児)から「少女漫画だよ」と聞いた瞬間、K察にとっ捕まって金網付きのワゴン車に載せられて家裁に連れてかれた時くらいの衝撃度でしたが、まぁ少女漫画に関しては何も知りません(何のこっちゃ)。
あ、そーいやぁ「セーラームーン」も少女漫画とゆーくらいは知ってるぐらい。こちらはTVアニメも見た事ありませんが。
まぁ兎にも角にも、少女漫画に関しては0%に近い無知なんですわ、自分。あのなんつーか目がキラキラしている漫画は読む気はないケドとりあえず「エロゲーで少女漫画風を味わうのも悪くないか」とゆー、まー今にして思えば明らかに「ゲテモノ喰い」な事しでかしてますね自分。
ああんこんな過去抹殺したいよママン(涙)
それはともかく、物語的には「完全無欠の一本道」です。一応選択肢は存在しますが、選択肢を間違えたら即End。
それゲームやないなん、という突っ込みは存在し得ますが、まぁ小説として考えれば悪くは無いでしょう。物語展開が良い場合のみ言える事ですが。
簡単な物語の概要を書くと…まずレズもの?
何か、自分の純で鈍で無垢な少年だった頃にパ○パ○チャ○トで読んだ記憶がある「○都のユ○」を彷彿とさせる内容ですなぁ。アレも使える絵もシーンも無かったけど、それはどーでもいーか。
お話的にはまるで違うとゆーのは明らかなんですが、レズものってあんまり読んだ事ないからなぁ。その辺の発想が貧困とゆーか何とゆーか。まだまだおいらも甘いのぉ(何がだ)。
ちなみにレズものの「帝○のユ○」とギャルゲーの「サ○ラ大○」がダブってむっはー(*´∇`)=3してるのはおいらだけでしょうか?(駄目人間的発言)
お話の印象が余りにも薄いんで話が脱線しまくってるなぁ。
で、お話の概要ですが、
主人公が10代の女の子で暗殺者としてバリバリ人を斬ってきたけど(ゴルゴ13と違ってナイフとかで暗殺)、今度のお仕事は女の子を警護する…という、ありがちと言えばありがちな導入部分です。
で、女の子の性格(?)に暗殺稼業に疑問を持った主人公が、主人公と女の子が同性愛に走って、女の子が襲われて主人公が救出、主人公は暗殺組織から逃れて女の子と逃避行に走る―――という、確かに少女漫画的な(読んだ事ないケド)砂糖楓の存在並みに甘さどっぷりに漬かった物語展開です。
いや、それが悪いというのではないんですよ。
少女漫画風という点を差っ引いても、こういうスタンダードな―――スタンダードだからこそ生きる―――物語というのは、少年漫画にありがちな格闘漫画など、厳然として存在していますからね。
(自分もそういうスタンダードさが好きなのもあって)だから自分はそれを否定しない。
しかし、そういうスタンダードさ故に、登場人物の魅力ないし他の物語に無いアクセントが必要でしょう。
それが無いと、いわゆる「有象無象の物語」と見なされてしまう。
この「Noel」というエロゲーには、その点が考慮されていないように思えるんですね。考慮されていないというより、歯車が噛み合っていない。
登場人物、の前に物語の設定・舞台背景などがありますが、それが「リアル志向」に傾きすぎているのが大きいように感じます。
スタンダードな物語展開なのに、登場人物以外の諸設定(世界設定・敵味方の組織構成など)がリアル志向というのが、「少なくとも自分の肌に合わない」からそう感じてしまう(有象無象に勘定される)のかもしれませんが―――。
これは私見なんですが、
『スタンダードな物語は設定を単純化した方が「分かりやすくてすっきりする」』
というのがあります。
簡単な例で書くなら、神話の中にしか存在しない「『絶対善』vs『絶対悪』」という図式ですね。
大魔王を倒しに行くゲームや、強敵と書いて「とも」と呼ぶ漫画などがそれに当たるでしょう。また、困難を乗り越えてデキちゃった的(子供ぢゃ無くて恋心が)なギャルゲー恋愛モノは分かりやすい構図ですね。
大魔王とツルんで世界制服する主人公や、強敵や女の子に尻尾振って愛想を振りまくる主人公を見た瞬間に読者総萎え状態になるのは理解していただけると思います(ギャグならその展開もアリでしょうが)
ところが諸設定がリアル志向の場合ですと、複雑な要素が絡み合うが故に「物語が単純化できない」という事情が生じてきます。
A・B・Cという行動が取れるけど、Aは危険すぎる、Bは時間がかかり過ぎる、Cは脱法行為に当たる、などなど(テーブルトークRPGでも同じような選択肢を突きつけられるのがしばしばあります)。
恐らくは、そういう様々な事象を想定していくと「人間を描いてしまう」という事に帰結されてしまい、「リアル志向」=「シリアスな物語展開」となるのでしょう。
「JIPANG」や「哭きの竜」、「新宿鮫」や「銀河英雄伝説」などがその例にあたると書けば少しは理解していただけるかと思います。
で「Noel」の話に戻しますと、
まず「物語展開がスタンダード」なのに「諸設定がリアル志向」なために齟齬を起こしているように感じます。
これは決して(シナリオライターの描いた設定に無理が無いという一点においては)悪い意味では無いんですよ。
ただその齟齬を生み出しているが故にむしろ戸惑いを感じたのが本音ですね。
だからこそ、プレイ総評は最初に書いた通り、「東京―ロス間を海面スレスレで飛行した」と感じたんでしょう。これが「『何でお前そんな事すんねん』的なあり得ない展開」とか「設定も分からないまま物語を進められても困る」といった溢れる涙を禁じえない内容だったら腹の立つところなんですが。
そういった意味では、諸設定を単純化させるか、諸設定を生かして物語展開に幅を持たせるか、の2択が必要だったでしょう。それがあれば、このゲームの総評も大きく変わったんでしょうが、なかなか世の中上手く回らないものです(笑)
あ、他にも選択肢がありましたね。
「諸設定を忘れる」とか、「諸設定を解説しない」とか(^^;
とはいえ、自分の推定なんですが、シナリオライターから見たら「リアル志向の諸設定」と「スタンダードな物語展開」は『絶対に外せない要素』なんでしょう。わざわざ「少女漫画的戦闘耽美」と振っている事からそれが窺えます。
こだわりを持っている、という点に置いては「譲れない一線が存在する」という芯の強さを表していますが、
商業的に失敗した、正確には市場の好み(受け入れ)とシナリオライターの「力量」と「表現したいもの」が合致していなかった事を考えると、厳しい言い方をすれば「シナリオライターのマスターベーションに過ぎなかった」のが、この「Noel」という作品に象徴されている、と言えるかもしれません。
もっとも、他のどうしようもないクソみたいなエロゲーの中ではまだいい方に入りますので、もう少し諸設定を単純化させれば「より良い物語」を生み出せる可能性を秘めているのは確かですが、はてさて、どうなるでしょうか。
シナリオライターが市場分析をしようとするかどうかがその分水嶺になるでしょう。
物語展開のレビューが長くなりましたので、他はさらっと。
音楽。
ピアノ(鍵盤楽器)は良い具合ですが、ボーカル・その他はどーでもいーです、以上。
システム。
バックログをもう少し充実化させるといいでしょう、以上。
物語中に出てくるタイトル(副題みたいなの)。
雰囲気は出ていますが生かされていません、以上。
最もエロゲーで重要なCG。
まるで使えません。お金返してください。
(珍しく新品で買ったのに…(つдと)
比喩抜きで言いますが、詰まるところ、この「Noel」というゲームはシナリオライターの知性が標準以上ある、という点を除けば、どうしようもありません。
●市場分析、という意味でレズものに走るのならば、それ相当のやり方があったはずだし、
●登場人物の魅力が諸設定にかき消されてしまってますし、
●えっちシーンが極度に薄く、質に乏しく、
●少女漫画を髣髴とさせるスタンダードな物語展開にしては、読み手に「(文章が長くなるという意味で)負担がかかる」諸設定の解説の存在が邪魔してます。
シナリオライターの知性を除けば、他の有象無象のエロゲーと同じですね。一つ違うのが「悪い印象ではなく戸惑いを感じた」点ですが。
そういった意味では、「次回作に期待しましょう、まる」という具合です。
本当に惜しいですよね。
各分野はいいんだけど、全体的に歯車が噛み合っていないので「良く見えなくなってしまった」というのが。
他のエロゲーだと「どこもかしこも悪い」というのが多いんですけど(^^;
まぁそんなこんなで、後味こそ悪くはなかった「Noel」のレビューはこれでおしまい。
最後に一つ聞きたいんですが、これって少女漫画風なんですかね?
少女漫画を読まないんで分からないんですが。
旅から帰ってきました
タイトルどおり、長旅一人旅から帰ってきました。
甲信越を経由して京都入り、大阪民国には入国せず東海道を下って帰ってくるという旅程。
疲れましたが、それだけのリフレッシュは出来てよかった。
もっとも、疲れすぎて帰ってきた途端に20時間ほど爆睡してしまいましたが(笑)
旅っていいですね。
場所にもよるんでしょうが、自分のちっぽけさを実感するにはいい機会ですし。
惜しむらくは後朝の別れにめぐり合えなかった事でしょうか(笑)
さ~ってっと、これから世間の厳しい波(しゅーしょくかつどー)に力を入れるとしますか。